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人間関係を楽にする祈り

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人の悩みはすべて対人関係によって引き起こされる

 こんにちは、Tomiです。

早速ですが、一つ詩をご紹介させていただきます。

 I do my thing, and you do your thing. I am not in this world to live up to your expectations, And you are not in this world to live up to mine. You are you, and I am I, and if by the chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.

 これは「ゲシュタルトの祈り」と言って、ドイツの精神科医が治療の中でよく使っていた詩だそうです。日本語訳をするとこうなります。

 わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。

私はあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたも私の期待にこたえるために生きているのではない。

私は私。あなたはあなた。

もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。

しかし出会えないのであれば、それも仕方のないことだ。

 人間は一人で生きることはできません。他の人と何かしらの関わり合いの中で自他の認識をして、生きています。その折り合いの中で様々な問題が生じ、悩み、苦しみながら生きていくことになります。

そんな時、少しリラックスして人間関係の軋轢を和らげてくれる詩だと思ったので紹介しました。

アドラー心理学

この「私は私、あなたはあなた」という考え方はとても大切で、この境界線があいまいになればなるほど人間関係で悩むことになります。”嫌われる勇気”でおなじみのアドラー心理学でも、「課題の分離」という定義で自他を明確に区別しています。

  • 子どもの将来について過干渉してくる親
  • 部下の箸の上げ下ろしにまでして気をしてくる上司
  • 自分の領域にずかずか入り込んでくる友人

これはいずれも、それぞれ個人の課題をしっかりと分離できていないことによる摩擦が引き起こす悩みになります。

親が子どもに干渉しすぎることは、子どもの自由を損ない、「親の期待通りに生きること」を生きる目標にしかねません。

部下の行動にいちいち口を出していては、顧客の満足より上司の顔色を優先しかねません。

少し冷たく聞こえるかもしれませんが、「他人は変えられず、変えられるのは自分の心のみ」という真理がここで見えてきます。多くの人間関係の悩みは「人を(自分の思い通りに)変えよう」として起きるものです。

「君のためを思って」という言葉を使う人がいますが、これは相手と自分を主従関係に置き、マウントを取りたいだけの枕詞にすぎません。

結局、相手に何かをしてあげても、それをどう受け取るかは相手次第。手伝って感謝されなかったとしても、それに対して憤慨するだけ無駄、ということになります。

個々の尊厳は、お互いの尊敬から作られる

先ほども言ったように、少し冷たい印象を持つゲシュタルトの祈りアドラー心理学ですが、本質は全く逆であることに触れたいと思います。

これらの思想の本質には

人間はそれぞれに上下の関係はなく、等しく尊い

という考えが流れています。

人間一人ひとりがそれぞれに与えられた命の時間を生ききる権利があり、義務がある。その中で他の人と交わることがあればそれはとても大きな力になる。だからと言って、無理やり交わろうとする必要もないし、他人の人生を生きる必要もない、ということを言っています。

○○のために、とか○○のせいで、という発言は、あくまで自分の人生を他人にゆだねている人の口から出る言葉です。流行りの言い方をするならば

生殺与奪の権を他人に委ねている

状態なわけです。

まずは自分はそのままで素晴らしく尊い、ということを府に落とす必要があります。

そのうえで、他者も同じく素晴らしく尊い存在であるということをしっかりと認める必要があります。

これができれば、お互いの人生のレールを邪魔することは少なくなるのではないでしょうか?

 

皆さん、自分の人生を生きていますか?

生殺与奪の権をしっかりと自分で握っていますか?

誰かの目が気になる、人に嫌われたらいやだ、人間関係につかれた。

そうした人たちの心の重しを少しでも軽くできれば幸いです。

 

最後までお読みくださり、感謝いたします。

皆様が一人一人の人生を歩み切れますように^^