顧客満足を得るには
こんにちは、Tomiです。
企業とは、何かのサービスを提供する代わりに、顧客から対価として金銭をもらい、売り上げとして計上していきます。その提供するもの如何によって支払われる対価はおおよそ丁度よいところに落ち着いてくる、これを「相場」と言います。相場よりも高ければよいサービスを提供しなくてはいけないですし、相場よりも低い場合には、それ相応の低いサービスを覚悟しなくては行けなかったりするわけです。
私は現在”冠婚葬祭”の仕事についているため、各種儀式におけるサービスを通して顧客との接点を持っています。販売しているものは多岐にわたりますが、提供品の価格にかかわらず、どのように接することができたかということが顧客満足(CS)につながっているのだと、最近改めて感じるようになりました。
- 祭壇がきれいだった(花がきれいだった)
- 料理がおいしかった
- 施設がきれいだった
こうした顧客からの声はもちろんうれしいものですが、「あなたに関わってもらえてよかった」という声をいただくことが増え、正直に涙しながら戻ってくるアンケートに目を通していたりします。
しかし、最近ふと考えることがありました。
「お客様の為に頑張る・働く」
ということを企業はよく言います。この「お客様の為に」とは一体どういうことを指すのか。こんなことを考え始めたら、この言葉を聞くたびになんとなく心に引っかかりが出てくるようになりました。
○○の為にという表現
確かに顧客の為にというモチベーションで仕事に臨みます。ですが、それはその顧客と良質な関係を気づき、自分と自社の商品を提供して、その対価として金銭を頂戴する。その金銭は売り上げとして計上され、めぐりめぐって自分の給料として戻ってくる。
つまるところ、「誰の為に」と聞かれれば、「自分の為に」働いているのではないかと感じてしまったのです。
自分がより良い結果を享受するためには会社という組織が健全である必要があります。劣悪な環境で働いていれば、心身が疲弊し、商品は提供できても自分という労働力を100%提供することができなくなる。これではCSを高めることはできません。
したがって、「自分が幸福になるため」に働くという動機は「善」であり、その流れとして「企業が発展するため」という動機も「善」だと考えます。あくまで被雇用者として従事している以上、会社を通さなくては顧客に価値を提供できませんから。「顧客の為」といって自分という労働力に「価値」を付加してくれるのは紛れもなく企業です。
となると、突き詰めて考えると「自分が最大限の喜びと報酬を得る為」に仕事に従事し、顧客の満足というのはその「結果」にすぎないのではないかと。この部分を曇らせる「お客様の為」という言葉は、ただただサービスに従事する者の労働力を酷使するための”魔法の言葉”なのではないか、と思ってしまったのです。
そんな中、これに対する答えが書かれている本を見つけました。
相手の立場になってという表現
答えをくれたのは、結局アドラーでした。
この本の中に、次のような節があります。
「お客様のために」ではなく「お客様の立場」で考えるとヒットになる
~「相手視点でものを考える人」が「顧客心理がわかる人」~
この節によれば
「顧客のために」は、あくまでも売り手やつくり手の立場の発想になるのに対し、「顧客の立場」に立てば、顧客の心理がわかり、「何をされれば一番うれしいか、ありがたいか」がよくわかる
とあります。なるほどこれだと、そう感じました。
葬儀を担当していますから、お客様は大切な人を亡くしたご家族となります。混乱、悲嘆、焦り、そして見栄。こうした様々な感情で頭の中が少なからずパニックになっている状況で、わずか数時間という打ち合わせの中で100万をこえる見積もりを作ることになります。
やはり、必要になる心は「相手の立場に立った行動」なんだと思います。
- どこに琴線があるのか
- どこに力をかけたいのか
- 何が引っかかっているのか
こうしたことは「葬儀屋 対 お客様」という構図であり続ける間は、きっと見えてこないのだと思います。そして、扱う案件が”葬儀”であるため、何で満足するかよりも、「何で後悔するか(もしくはしないか)」という観点は忘れてはならない、そう思いました。
他人の目で見る
アドラーは「他の人の目で見て、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる」と語っています。自分以外の他者の存在を認め、他者に関心を持ち、共感する。この心があって初めて「共同体感覚」をつかむことができるのだと思います。
今回は「スタッフと顧客」という視点のみで書きましたが、「スタッフとスタッフ」「友人と自分」「家族と自分」という視点でも、重要な考え方だと思います。
○○の為、という視点を離れ、相手の立場に立つことを考える。それが本当の「愛」なんだろうと思います。
星のおうじ様の著者 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリはこう言います。
愛とはお互い見つめあうことではなく、共に同じ方向を見つめることである
ともに同じゴールを目指すために、互いの視点をそろえ、一歩を踏み出す勇気を与える。そんな人間を目指していきたいですね。
本日も、最後までお読みくださり、感謝いたします^^