【人生論】雑草に学ぶ「生きる力」
こんにちは、Tomiです^^
先日、雑草と格闘しました、というお話をしました。私の住む地域でもここ数日かなりの猛暑が続いており、炎天下の中での格闘はまさに”死闘”となりました笑
私たちが植えたり、期待や予想をしていないところに生えてくる”雑草”。
彼らのことを私たちは”雑な草”と表現して処理対象としていますが、彼らにしてみれば一生懸命に生存戦略を張り巡らせて大地に根を下ろしているのだろうと考えると、敵ながらあっぱれと感じてしまいました。
今日はそんな”強敵(とも)”とのかかわりの中で感じたことをつらつらと書いていこうと思います。学ぼうと思えば、草木からも学ぶことはある!ということで、仕事や人間関係で悩んでいる方に少しでもヒットすれば幸いです^^
周囲に溶け込む力
まず、今回戦った中で一番困ったのが「雑草なのかどうかわからない」という存在です。明らかにアスファルトにポツンと生えているのは雑草と認識できるのですが、施設の植込みに広範囲で生えている雑草。完全に「最初からいましたけど何か?」みたいな主張をして、植込み全体に生えているのです。
もはや市民権すら獲得したかのような存在感でした。
調べてみると、代表的な雑草として載っている強敵でした笑
見た感じ、こいつでした。コケというか芝というか、そういう感じの植込みのところに一緒に生えているので「クローバーかな?もともとのやつかな?」と思ってしまうほどでした。
やはり、生存戦略としてあまり背を伸ばさずに、広がる形で成長するタイプなのでしょう。
彼らに学んだのは「周囲に溶け込む力」。周囲と合わせる力、と言ってもいいかもしれません。相当量生えてはいましたが、周りの草を枯らすほどの力も持っていなかったため、共存することで生きていくタイプの植物なのかなと。
私たちは、いつも様々な環境下に身を置きながら生活しています。そして今はコロナウィルスの影響もあり、生活環境の変化は目まぐるしいものがあります。そんな中で何かと息苦しさや生きにくさを感じることも多いのではないでしょうか。
なんとなく他人のことが気になり、自分と違うことを見つけては攻撃したくなるような気持ちも芽生えやすくなっているように思います。
しかし、彼らはひっそりと、養分の分け前をもらいながら共存する形で自分たちの勢力を拡大することに成功しています。
こうした「周囲の変化に水のように対応する柔軟さ」や「共存しつつ自分の力を高めるしたたかさ」などは、学べる点なのではないでしょうか。
どんな環境でも根を張る力
先ほどの雑草たちは植込みに生えていたため、土も柔らかいですし、水分量もそこそこあるという、ある種「恵まれた」環境だったと思います。
しかし、植物は時として、思いもしないところで驚くべき生命力を発揮しますよね。
やはり目を見張るのは「アスファルト」を突き破ったり、その「目地」ににょきにょきと生えている彼らです。
根っこが固い部分に覆われているため根絶させることが難しく、手作業では太刀打ちできないことが多いです。
一番驚いたのは、道路の歩道と車道との境目で、アスファルトの下に数メートル級で根を張っている”竹”みたいな草でした。これはもしかすると本当に竹なのかもしれませんが、地下茎のようになっていてラスボス状態でした。
排水をするために道路下に作られた穴や目地にもしっかりと根を張り、抜くというよりも途中で切る、という方法しかなかったのを覚えています。
結果的に、アスファルトは下地からぼろぼろにされていました。看板の根元にも容赦なく生えていたので、看板が倒れないか心配なくらいです。
この、「どんな状況でも根を張る力」は、植物から学べる大きなポイントだと感じました。先ほどの力とは相反するようにも感じられますが、彼らが生存できる源には、この「根をしっかりと張る力」があるのだと思います。
常に自分を成長させるため、生きながらえるためにどん欲になる。どっしりと根を張って腰を落ち着け、多少のことでは動じない”芯”を作る。そのうえで、表層部分は風になびき、周囲に溶け込み、環境の変化に対応する。
この二段構えの生存力には脱帽ですね。
成功している人や優秀な人ほど、見えないところで自分を磨いているものです。
成り上がるだけではすぐに転落してしまいます。常に学ぶ姿勢を持ち、自分の栄養として蓄えながら”芯”を作っていく。この生き方は勉強になりました。
どんな状況でも栄養に変える力
植物は、土とともに存在するものだと認識していましたが、アスファルトの目地にある「砂だまり」でも成長できることを知りました。
もちろん過酷な環境であることは間違いないので、枯れ始めているものもありましたが、しっかりと青々として成長している彼らを見ると、一体何を栄養にしているのだろうかとはたと考えてしまうほどです。
我以外皆我師(我れ以外みな我が師)という言葉があります。私も雑草を機縁として生きる力を学ぶことができました。嫌いな人もいる、苦手な人もいる。しかしどんな環境でも、どんな相手でも、学ぶべき点は数多くあるということです。
自分の芯を曲げてまで迎合する必要もありません。今は多様性の時代ですから、自分で生きるという芯は曲げなくてもよいと思います。しかし、どんなに多様性だといわれても、「共同体」であることは不変の事実として存在します。
嫌いな人を避け続けても、どこに行っても同じような人は現れます。
辛い環境から逃げ続けても、結局同じような状態に陥るときは来ます。
つまり、今与えられている環境や状況から、自分は何を学びとして蓄えるのか、ということが問われているんだと思うのです。
人生は一冊の問題集ということも以前触れましたが、常に自分を高めるという意識を忘れずに生きていきたいものです。
thinkbetter-777.hatenablog.com
ここぞという時のアピール力
ひっそりひっそりと根を張っているものもいれば、ここぞとばかりに丈を伸ばす奴らもいます。
もともとそういう植物なのだ、と言えばそれまでなのですが、栄養・土壌・外敵といった環境がすべてクリアになった場所では、大きく成長してその存在をアピール、周囲を制圧する力も必要なのかもしれません。
ずーっとほそぼそと生きることもできるかもしれません。しかし、勝負所というものは何事にも存在すると思います。
ここぞという時に力を発揮するために、過酷な環境でも根を下ろしてきたわけです。出る杭はたたかれるという日本の風土はありますが、そんなものは撥ね退けて、一気に羽ばたく力も必要です。
企業でいえば綿密に営業計画やマーケティングを行い、地元密着で下積みを作り、大手や老舗のほころびを見るや、一気にそこを突いて制圧に躍り出る。
新規参入企業はそんな考えでいるのかもしれません。
同じやり方をしていても、埋もれるだけな時もあります。時には背を伸ばし、たたかれることを覚悟で「出る杭」になることも必要だと思いました。
何度やられても立ち直るリカバリー力
最後に、なんといっても雑草たちの生命力を強調しておかなくてはいけません。
先ほど根っこが張り巡らされているという話をしました。彼らは頭の部分を切り取ったところでまた生えてくるわけです。それは、根っこが常に栄養を吸収しているため、何度でも復活できるということです。
除草剤をまこうが、鎌でかろうが、スコップで掘ろうが、何をしても復活してきます。
このリカバリー力は学ばなければいけないでしょう。
へこたれるときもありますし、先ほどのように出る杭として叩かれることもあります。
世間の荒波に揉まれることで挫折することもあるでしょう。
ですが、今まで根っこを下ろしてきた自分であるからこそ、何度でも立ち直れると自信を持ってほしいのです。
この「根っこ」は知識とも言えますし、命だとも言えます。
生きていればいくらでも挽回できる。そして、もし仮に死んでしまったとしても、蓄えた知恵とこの世での経験はあの世に持って帰れる。そんな人生観で生きていけたとしたら、私たちも雑草のように強くしなやかに成長し続けられるのかもしれません。
いかがでしたか?
生存本能ともいえる彼らの生命力ですが、黙々と格闘する中で、彼らへの「リスペクト」を持ってしまった為、共有させていただきました笑
どれか一つでも、皆様の生活の「栄養」になってくれたら幸いです。
本日も、最後までお読みくださり、感謝いたします^^