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【教育論】子の成長を願う”親の愛”

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こんにちは、Tomiです^^

昨年授かった長男が、1歳2ヶ月にしてようやく歩けるようになりました!
他の同世代のお子様たちと触れ合う機会もたくさんありました。特にこれと言って比べるような感情はなく、早く歩いている子もいれば喋っている子もいます。

「なんでうちの子は」

と思うことは一度もなく、彼のペースで健康に育ってくれればそれで・・・と願いつつ、やはり一日一日はっきりと成長していく子どもを見つめるのは、なんとも言えない幸福感に包まれます。

我が子の可能性を信じて、やりたいことは経験させてあげたい。そんな風に思いますが、どうしてもパッと手を出して助けてしまったり、甘やかしてしまったり・・・親業というのも勉強なのだとつくづく感じます。

今日はそんな「親の愛」について少し触れてみたいと思います。
忙しい日々で忘れがちな子どもへの感謝。当たり前過ぎて見えなくなっている親への感謝。こうしたことを一度立ち止まって再確認してもらえたら幸いです^^

親の心子知らず

ことわざに、「親の心子知らず」というものがあります。
私は小さい頃にこの言葉を「親には子どもの心は理解しきれない」という意味で使っていた記憶があります。今になってみればとても恥ずかしいことですが・・・

これは、「親の想いとは関係なく、子どもは気ままに育つ」という意味を表す言葉です。しかし、親になってみて気づきました。それは「親の心というのは、子どものうちはわからない(親になってみなければわからない)」という意味を含んでいるということでした。

私は両親から相当愛を注いでもらったと感じています。
折々で感謝を伝えていたつもりではありましたが、実際は与えられるばかりで何も返してあげられていませんでした。それは今になっても強く感じます。

そしてこの感謝の気持ちは、実際に親になってみて具体的に感じるようになりました。

夜はぐっすり眠れず、自分の自由な時間もなくなり、くっさいおむつを何度も交換してもらい、どの食べ物が好きか、どうしたら栄養が取れるのか、挙げればきりがないほど子どもを中心にして生活を回しています。

常に成長を願って育んでもらえたということに感謝しかありません。

這えば立ての親心

また、親の子を思う気持ちを表す詩があります。それが

這えば立て、立てば歩めの親心

というものです。これも有名ですよね。
個人的には、この詩は「次から次へと子どもに対する期待が止まらない親の気持ち」を表したものだと思っていました。子どもが何かをできるようになれば次を求める、できたことを当たり前に思ってしまう親の人情と戒め的なものだと感じていました。

しかし出典を見るとそれが間違いであることに気づきます。

這えば立て、立てば歩めと思うにぞ、我が身につもる老をわするる

子の成長を心から願い、自らの老いすら忘れて子に尽くす親の姿が描かれているものでした。いやはや、重ね重ねお恥ずかしい・・・

どんなに年をとっていたとしても、親の子を思う気持ちというのは変わらないもの。
収入を得るために体にムチを打つわけですが、どんなにきつかったとしても「我が子のためならば」と働きに出る。痛いほどよくわかります。

私達が我が子にかけている思いがわかるのはしばらく先のことになると思いますし、もしかしたら実感して貰う前に私達がこの世を去ることになるかもしれません。それでも、我が子が次の世代に愛を与えてくれるようにと願いつつ愛を注ぐしか、親にできることは無いのかもしれません。

日を追うごとに深まる想い

一年間親業をしてまいりましたが、あらためて強まる思いは

  • 生んでくれたことに感謝
  • 育ててくれたことに感謝
  • 生まれてきてくれたことに感謝

です。

やはり、まずはこの世に生を与えてくれた両親に心から感謝しています。そして、様々に苦悩しながらも私の成長をサポートしてくれた両親に感謝です。

すでに父は他界しておりますが、それでもやはり、両親二人が出会わなければ私はこの世に生まれていませんし、私の成長を側近くで見守ってくれる両親の存在がなければ、今の私はありえない。そう考えると、如何に恩を返そうにも、その量が莫大すぎて返しきれないと感じるのが実際のところです。

そして、その思いが強いがゆえに、我が子に対する愛と感謝も日に日に強まっていきます。

どんな人間に成長するのだろう
どんな使命を帯びて生まれてきたのだろう

色々と思いは尽きませんが、私達を親として選んできたことを後悔させるような事にならないよう、全力で育んでいきたいと思います。

先祖にも感謝

時節柄お盆ということもあり、ご先祖様に思いを手向ける時期でもあります。

親が出会うことで自分が存在する、と考えると、その親がまたこの世に生を受けていなければ、自分は存在することができないということになります。
ご先祖様の存在に感謝することができれば、日常そばにいる人達にも感謝することができるようになります。きっと、人間関係も改善することでしょう。

できることであれば、季節に関わらずご先祖様に対する感謝の思いも常に持ちたいものです。しかし日々の生活の中で思いを向けることはなかなか難しいかもしれませんので、ぜひこの時期を利用して、あらためてご先祖様に対して感謝を向けてみてはどうでしょうか。

コロナウィルスの問題もあり、お盆の帰省が制限されていますが、本当に嫌な病気が流行ったものだと思います。今生きている人と人との繋がりを断つだけではなく、先祖代々の繋がりまで希薄にさせようとする、もはや悪意を持ったウィルスであるかのようにさえ感じてしまいます。

ただ、現代は通信設備が充実していますから、直接会わなくとも感謝を伝えることはできると思いますし、お墓を参らなくても思いをむけることもできるはずです。

ぜひ、日々の喧騒や不安を落ち着けて、心静かに感謝の想いを向けてみてはいかがでしょうか。

本日も、最後までお読みくださり、ありがとうございました^^