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世界が美しく見えるお手伝いを

【人生論】私達が生きる理由

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こんにちは、Tomiです^^

“宗教”というとなんとなく怪しいもの、遠ざけたいものと言うような印象が強い日本の気質ですが、個人的には宗教と出会うことが出来て本当に良かったと思います。

救われたとか、人生が幸福になったとか、奇跡が起きたとか、そういうようなこの世的に現象としてあらわれている物事ではなく、精神的なことを学ぶ機会を得られたというところにとても感謝をしています。

「目覚めろとか、真実をしれとか、余計なお世話だ」

なんて、思っていた時期が私にもありました。
ですが、実際に自分が経験・学びを深めていくと、なるほど面白いという感想に変わっていきました。
そして、面白い・興味深いと思ったこと、自分が真に良いと思ったことについては他の人にシェアしたくなるのが人間というもの。
私も折に触れて発信をしていますが、信じるかどうかは個人の自由ではあります。
ですが、信じるかどうかに関わらず、やっぱり思うのは「世界は美しい」ということ。

そして、その世界に住まう私達は、すべて「愛おしい存在」であるということ。

聖人君子のようなことを言っていますが、私ももちろん嫌いな人・苦手な人はいます。
過去にはこの人とは二度と関わりたくない、と思うほどの人もいました。

そんな人を許せるようになったのも、結局宗教を勉強する中で自身の見識を広げることが出来たからだと思っています。

私達は何をするために生きているのか

皆さんは、人生にどんな目的を持って生きていますか?

自分にはどんな使命があると思いますか?

きっと、深く考えたこともない人もいらっしゃると思います。
ですが、今の生活に「なんとなく違うなー」って感じる人は、もしかすると心が求めている本当の「使命」に背いた生き方をしているのかもしれません。

私の教わっている生きる目的は、心(私達は魂とよんでいます)をより向上させるための勉強をしにこの世に生まれているとされています。
そして、その中で「自分の問題集」を解きながら、過去の魂の傾向性(考え方の癖)やカルマの摘み取りを行っているという考えかたに立脚しています。

大前提として、この魂という自分の本体をより高次元にさせるために生きている。そのうえで「この世では〇〇を行う!」という事を本来いた世界で計画してこの世に降りて(生まれて)きています。
この計画は基本的には忘れて産声をあげますから、例えば政治家になって世界をより良い方向に導くリーダーになりたいと計画してきていても、一会社員として鬱々として生活しているかもしれません。犯罪に手を染めているかもしれません。

最終的に、この世で行った業績をプラスとマイナスとで判定し、あの世での魂の経験値とレベルが判定される、というようなイメージです(この時、いわゆる「地獄」というところで反省が必要と判断されることもあります)。

宗教らしいものを信仰していなくても、成功している経営者の方々は「神様」とか「目に見えないもの」というものに対する畏怖の念を持っていたことは間違いありません。
こういう方々は、きっと自分の天命・使命に気づき、それに率直に素直に生きていった結果成功されていたのだと思います。

この世の森羅万象が「愛おしい」

元いた世界(天上界と呼んでいます)で大いなるものと約束して、この世で成長するために生まれてきている。成長するためには「人をどれだけ幸せにできたかどうか」が判定されるとすれば、そうした勉強と努力の結果として様々なものが存在しているといえます。

まずもって生命はすべからく愛おしい存在ですし、それらが生み出した有機物・無機物、全てが生命活動の結果として存在していると考えるならば、それら一つ一つから光が出ているように感じます。

もちろん、こうした考えかたを一切信じず、学ばず、他者に対する愛の足りない「無明」を生きる人々もいます。
戦争を肯定するつもりもありませんし、某国のように民族浄化を是としているような国を許すわけにも行きません。

そうであったとしても、すべての人は生まれたときは善であり、愛すべき存在なんだなぁと、最近強く思います。

こうして、皆が幸せを追い求めて作り上げてきたこの世界は、森羅万象、全てが輝く存在なのだなぁと。

なぜ人間には承認欲求があるのか

認められたい、必要とされたい、こうした欲求は人間にもともと備わっているものであり、おそらくこの欲求とは末永く付き合っていかなくてはならないのだろうと思います。

では、なぜこのような悩みの根源になるようなものを残して人間を創ったのか。

ここからは完全に私の持論になります。

この世に生まれてきているすべての存在は、神様の考えをこの3次元に表現するために生まれてきているのではないかと。
そのために計画を立て、目標を定め、生まれてきているのではないかと。

結果的に、子どもが親や大人に認めてもらいたいが如くに、魂の親であるところの“神様”に「こんなことを体現しました、表現しました、価値を生みました」と報告したいという強い強い願いがあるのではないかと思うのです。

これが、この世に生まれてくる時に霊的な考えかたを忘れてくるために、「誰に」という部分がすり替わって欲求として出てきてしまうのではないかなぁと。

そう考えると、もっと認めてほしい、もっと必要としてほしい、という欲求はそのまま「大いなるものの役に立ちたい」という魂の欲求に根っこがつながるのではないかと思うのです。

申し上げたとおり、あくまで持論です。
こうした小難しいことを考えながら生きている私ですが、おかげで世界は昔よりもとても明るく輝いて見えるようになりました。

多くの仲間達とともにマスターマインドをくみ、様々な課題を解決しながら問題集を解いていく。
失敗することも、途中で幕を下ろすこともあるでしょう。
ですが、そうであったとしても、何も残らないわけではなく、その人が生きた証は後世に残りますし、あの世に戻ったときには心と智慧を持って帰れるわけです。

生きる上で無駄なことは一切なく、きっと誰かを幸せにできています。
これはとても大きなことです。

今に信じられなかったとしても、今後折々で自分の使命に向き合う時が来るかもしれません。
そんな時に、私の線と皆さんの線が重なる時が来れば、これはとても幸運なことだなと、そう信じています。

 

最後までお読みくださり、感謝いたします^^