【Think Better】地位や財産で人を判断しない
子どものころから私たちは、ある特定の人たちを敬うように教え込まれてきた。知識や学歴、地位、名声、財産などを持つ人たちは優秀で称賛と尊敬に値するという意識を植えつけられたのだ。
こんにちは、Tomiです^^
私が好きなアドラー心理学の中では、「肩書きは単なる役割に過ぎず、人は横並びで歩いていると考える」という考え方があります。
私達はどうしても組織の中における「肩書き」を重要視し、その肩書きにしたがってそれぞれの人の価値が決まるようにイメージしてしまいます。
例えば、平社員と社長・生徒と教師と言った具合です。
「人間」という個の存在にまで視点を移せば、それぞれの価値に貴賤は無いはずなのですが、「社長のほうが偉い」と感じてしまいます。
こと自尊心を大切にしようとした場合、こうした「人の価値の高低(貴賤)」という見方は逆効果になります。
どうか、「ともに尊いのだ」という意識をわすれないようにしてほしいと思います。
人間の価値とは何で決まるのか
ともすると我々は、その人が生み出す価値や生産性というようなものを基準に人間の価値を決めようとする節があります。
- 年収が高い(低い)
- 住んでいる家が高級(ボロ屋)
- 仕事が出来る(出来ない)
しかし、結局なにかの基準に基づいた価値判断というのは「誰かと比べた結果」でしかなく、年収が1000万だから偉い、100万だから偉くない、という結論には至らないはずです。
赤子は自分一人では生きることすら出来ず、親や周囲の力と時間を割かせて自分の命を永らえさせます。
彼らが生きる上で、金銭的な価値は一切生まれません。
ではお金を稼ぐことが出来ない赤ちゃんや子どもは、人間として価値が無いと言えるでしょうか。
そんなことは無いですよね^^
彼らは存在すること自体が大きな愛であり、学びであると思います。
親を親たらしめるために、彼らは存在するのであり、この世に生を受けた時点で、既にその存在は唯一無二のものとして認められるものです。
そして、その人としての価値は、大人になったからといって低くなったり高くなったりするものでは有りません。
私達の価値は、それぞれ個人に与えられているものであり、誰かと比べられるものではないという事をしっかりと胸に刻み込みましょう。
責任の度合いが大きい人とは
肩書きは役割が違うだけだという話をしました。
この考え方に沿っていくと、社長というのは当然責任も大きいですし、抱えている社員とその家族の人生にまで責任が及びます。
したがって、平社員と同じ仕事、同じ給料というわけには行きません。
だからといって社長が偉いわけじゃない、というのが今回の結論になるわけですが、今回も私なりの解釈を添えたいと思います。
人間としての価値はもちろん同じだと思いますが、地位や財産を築いた人たちは、その立場になるまでの間に常人をはるかに超えた考え方や行動で結果を残してきた人が多数だと思います。
なので、こうした肩書きが上の方々に対して「尊敬の気持ち」を持たないというのも今回の結論とは外れたものであると言わざるを得ません。
結局、自分のことを尊重してくれる人がいたなら、相手のことも尊重しようという気持ちが現れるものだと思います。
“うまくいく”考え方
業績や地位は、その人が自分より価値のある人間だという根拠にはならない。