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【書評】運転者~未来を変える過去からの使者~

一膳のご飯を用意するためには宇宙のすべてが必要だと言ったら納得できますか?

こんにちは、Tomiです^^

今回は、喜多川泰さんの書かれた「運転者~未来を変える過去からの使者~」を読んだ感想をお伝えしたいと思います。

書評youtuberの方が結構取り上げていた書籍だったので、kindleUnlimitedに無料会員の間に読んでみようと思ったら、吸い込まれるように一気読みしてしまいました!

凄く読みやすい文体で、主人公にも感情移入しやすく、かつ人生の示唆に富んだ良書だったともいました^^

もしこの記事をご覧になって、興味を持たれましたら、ぜひとも手に取ってみてください!

本の概要

登場人物

  • 岡田修一
    本作の主人公。保険の営業マンをやっている。冒頭で大口の契約が解約されるという憂き目にあい、イライラしているところで「あるタクシー運転手」と出会う。運転手との関わり合いを通して自分の人生を見つめていく。
  • 運転手
    本作のもう一人の主人公。本名(?)御任瀬卓志(おまかせ たくし)。「乗れば乗るほどメーターが減る不思議なタクシー」の運転手。修一をお客として乗車させ、修一を様々な場所へと連れていく。自分のことを「運を転ずるのが仕事」と言っている。
  • 優子
    修一の妻。多くは語られないが、エピローグで壮大な伏線回収役を担う。
  • 夢果
    修一と優子の娘。雅中学校の生徒。2年生になってから不登校となる。本作では多くは語られないが、最後の最期で未来の姿を垣間見ることができる。
  • 政史
    修一の父。ファンシーショップOkadaを経営。商店街の過疎化に伴い経営が悪化。特に持病などもなかったが半年前に急逝。
  • 民子
    修一の母。ゆったりとした性格。修一のことをいつも案じている。
  • 脇屋
    修一の会社の社長兼上司。社長でありながら営業成績も優秀。「プラス思考で、誰よりも笑おう」という言葉を額に入れて飾っている。

あらすじ

保険の営業をしている主人公 修一は、「大口契約の解約」「娘の不登校」「父の急逝」など様々な問題がいっぺんにのしかかり、「なんで俺ばっかりこんな目に…」と弱り切っているところで、あるタクシーの運転手と出会う。

「お代はいただいている」「メーターがなくなるまで乗り放題」「人生の転換点にお連れします」といった摩訶不思議なタクシー。そして最も不思議なのが「なぜか、運転手が修一のことをことごとくよく知っていること」。

ある種の不気味さを感じながら、修一は次第に運転手との関わり合いの中で様々な人と出会い、人生の転換点を通過していく。

チャンスをつかむ最低条件は”上機嫌”

修一と運転手が出会ったときに、一番初めに修一に伝えたことは「上機嫌でいること」でした。

  • 人生には「運が劇的に変わる時・場所」がある
  • それを捕らえるためのアンテナはすべての人に備わっている
  • そのアンテナの感度は上機嫌の時に最大になる

なのだそうです。

作中では、一番最初の「転機」を修一は逃してしまうのですが、それは彼が「不機嫌」だったから。機嫌が悪かったため、修一は運が変わる潮目を見極めることができなかったというのです。

もちろん、修一はそんな話は信じられないと運転手に詰め寄りますが、そんな修一に運転手は次のように言い放ちます。

百歩譲って僕の言ってる未来が僕の勝手な妄想だったとしてもですよ。不機嫌な保険の営業マンに新しい契約のチャンスなんてあるんですか
(最初に連れて行った先で、修一は夢果の学校の先生を皮切りにたくさんの保険の契約が取れるという未来があった)

運の転換点かどうかはわかりませんが、実際に仕事をしている中で、また家庭生活の中で、不機嫌でいることのメリットはほとんどありません。
自分の心も晴れませんし、相手にもいい印象を与えません。

実際私自身も、お客様と対応しているときや会社にいるときは比較的穏やかで上機嫌に居られていると思っていますが、その反動なのか自宅に帰ると妻に塩対応をすることが多く、反省しきりです。

「運」というのは「運ぶ」という字であるということは過去の記事でも書いたことがあります。
これは、「運気というのは(その良し悪しに関わらず)人が運んでくるもの」であると考えられているからかもしれません。

周囲に自分以外誰もいない世界では、運の良し悪しなどは存在しえません。
そう考えると、「人が集まる場所や人」には様々な「情報」が集まります。その中にきっと人生を劇的に変化させる「潮目」が存在するということなのでしょう。

では、人が好んで集まる人とはどんな人物か。

それは”上機嫌”な人でしょう。
少なくとも、”不機嫌な人”のところに好んで行きたがる人はいないと思います。

したがって、人生を好転させたい・運を上昇させたいと願うのであれば、最低限”上機嫌”でいなければ、その潮目に巡り合うことすらできないということです。

本当の”プラス思考”

自己啓発系の本やセミナーでは、大体「ポジティブシンキング」的な事が語られます。
前向きな未来を想像することで、その未来を引き寄せる・現実化させることができる、といった具合です。

先ほどの上機嫌でいるということも、ある意味ではポジティブシンキング的な発想に近いものかもしれません。
しかし、運転手はこうした「一般的なプラス思考」にアンチテーゼを投げかけます。

自分に都合のいいことをイメージしていれば、それが起こるなんて、プラス思考じゃないですよ。本当のプラス思考というのは、自分の人生でどんなことが起こっても、それが自分の人生においてどうしても必要だから起こった大切な経験だと思えるってことでしょう。

凄く、深い言葉だと思いませんか?
プラスの未来を想像することではなく、現実に起こった事象に対して「プラスの意味を持たせていく」という考え方だと言っています。

これを聞いた修一は、納得しようとしますが、やはり大量解約の憂き目については到底プラスの意味づけをすることができずにいます。
そんな修一に、運転手はさらにこう続けます。

あなたが生きたことで、少しプラスになる。それこそが、真のプラス思考だって言えるんじゃないかと思うんです。(中略)それこそが延々と続く物語の一部分である、今を生きている人の<役割>だと思うんです。

運転手は、私たち一人一人は「延々と続く物語の一部分を担う存在」であると定義し、今現在には過去の物語の恩恵がたくさんあったと言います。
そして、その恩恵のもとに新たな命が「一部分を担って」人生をスタートし、100年そこそこで幕を閉じるのだと言います。

過去の恩恵を奪って生きている、というと少し乱暴ですが、それまでの物語を生きてきた人たちの恩恵を消費しながら生きている、と言われれば合点がいくのではないでしょうか。

私が生まれたころには家具家電は当たり前にありましたし、車も走っていたし、教育も普通に受けることができていました。
現在生まれた子供たちは「デジタルネイティブ」と呼ばれ、スマホタブレットなどを通じてネットの社会とつながることが当たり前になっています。

ですが、この「当たり前」になるために、過去の人々が様々な活動を通して「生産」してくれていたからこそ、私たちはその恩恵を「消費」できている。

そして、運転手が言っている真のプラス思考とは「自分が生き抜いた後、自分が消費した分(マイナスの部分)よりも生産した分(プラスの部分)をほんの少しでも多くする」という考え方・生き方であると言っているのです。

私の信心のなかでは「与える愛」という基本概念がありますが、この考え方と通じる点があると思い、感銘を受けました。
そして、「自分は社会に対して奪っているのか、与えているのか」と自問自答するに至りました。

目の前のものに感謝できるか

最期に、私が最も感動した部分をピックアップします。
それは、この記事の冒頭に引用した部分になります。

「あらゆるものに感謝しましょう」

という言葉をよく耳にします。
しかし、実際問題どの程度感謝することができていますか?

私は、すぐに「当たり前」と思ってしまい、感謝の念が足りないように感じています。

運転手は、修一が食べた一膳の食事を例にとり、壮大な「過去の恩恵」について話をします。

たった一膳のご飯でさえ宇宙のすべてが必要で、今の時代、地球上のすべての人間の営みが必要なんです。そのことがわかれば、今日、それをいただけるというのは恵まれていることだと思えませんか?そんな食事を毎日当たり前のように食べてるんですよ。その人生を恵まれているとは思えない人は、どんな人生なら恵まれていると思えるんでしょう。おそらく何が手に入ってもそう思うのは無理です。

米を作るには土地と水がいる。そして、田んぼを耕すにはトラクターがいる。トラクターを作るには鉱物が必要になるし、それを動かす燃料は化石燃料(つまり過去の生物の営み)が必要。その生物が生きるためには太陽が必要…ということで、話が一気に宇宙にまで飛躍します。

そもそも、太陽があったとしても、この地球が誕生しなければ、今私たちは悩むことも幸せを感じることもできないわけです。太陽自体も、勝手に出来上がったわけではないでしょう。

そう考えると、今目の前に当たり前に出されているご飯、当たり前に使っているスマホ、当たり前に接している家族や仲間が「当たり前ではなくなってくる」のではないでしょうか。

そして、取りも直さず今そんなことを考えている「自分」という存在自体が奇跡であり、尊いものだと思えるようになりませんか?
そんな私たちが、なんの使命も役割も持たずに単に100年そこそこの生命活動を繰り返しているとは考えられません。

私たちには使命がある。

それはどんな職業かとかではなく、「未来に対して恩恵をプラスしていく」という重要な使命です。

この使命を果たしていこうとする中で、きっと「与えられている自分」というものに気づき、幸福な人生を歩むことができるのだと思います。

私は、この本に出会う前に宗教に出会いました。
そして、その中で「使命を持った魂」が私たちの本質であることを学びました。
宗教の世界では、こうした人間の知識では到底理解しえない奇跡に「神」を見ます。

ぜひ、宗教の世界を味わいたい人は飛び込んでみてください。
宗教に抵抗がある人も、この本を手に取ってみて、自分自身に備わっている「神性(しんせい)」というものに近づいてみてください。

最期に、運転手の言葉を添えて、記事を終えたいと思います。

さあ、あとは自分で考えてみてください。きっと自分ほど恵まれている人はいないんじゃないかって思えるようになります。そうしたら、きっと自分には役割があると心から信じることができると思います。

最期までお読みくださり、感謝いたします^^
皆様が幸せでありますように^^