【人生論】ある大学の教授と生徒のお話~壺の中身~
人生の中で優先順位を決めないと、自分の人生を主体的に生きることが出来なくなる
こんにちは、Tomiです😊
今日はある大学の教授と生徒との有名なやり取りをご紹介します😊
皆さんもさまざまなところで見聞きしているものかもしれませんが、ぜひご覧ください👀
ある授業の一場面
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。
砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
一人の生徒が「たぶん違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の下から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺は満杯か?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ
彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
この話には続きがありますが、一旦ここで引用をやめます。
皆さんは、教授が言いたいことはなんなのかわかりますか?
岩を詰め、砂利を詰め、砂を詰め、最後に水を入れて見せました。生徒たちの予想を意地悪っぽく裏切っていくあたりは、先生の愛情も見えかくれします。
生徒は次のように話します。
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」
私も、「そう、それ!」って思ってしまいました笑
どんなに無理だと思っていても、考えればどこかしらに隙間があるのでは、余地があるのではという発想をしてしまいました。
これもある意味では間違いではないでしょう。
ですが、教授の答えはもっと奥深いものでした。
自分にとって大切なことをやる
「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」
この時私も「あっ、、」と思いました。
これ、物事の順番を間違えると、最大の結果を作り出せないってことだって。
引用を続けます。
君たちの人生にとって「大きな岩」とは何だろう、と教授は話しはじめる。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり……。
ここでいう「大きな岩」とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。
もし君たちが小さな砂利や砂、水など、自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体を失うだろう。
なるほどー!と思うと同時に、今までの人生を振り返らされました。
「私は自分の人生の壺に大きな岩から入れてきているだろうか」
と。
自分の価値観に正直に、手に入れたいもの、守りたいもの、そうした「岩」をしっかりと見定めて、優先的に壺に入れていかないと、気づいたときには水で一杯になってるかもしれない。そんな風に感じました。
人生はそんなに長くない
私は今年で36歳になります。
子どももあっという間に2歳です。
人生100年といえども、会社員でいられる時間は半分を切りました。
そして、仕事柄、若い方の死も目の当たりにしています。
いつこの世との「縁」が切れてお別れをしなくてはならないかわからないと、しみじみと感じています。
- 苦手と得意、どちらに時間を注ぐか
- 自分のためと人のため、どちらの時間を生きるか
- 誰との時間を増やし、誰との時間を減らすか
健康寿命というのは、実際の寿命より短いことが多いです。そう考えると、今しかできないことにもっと集中する必要があるなと感じました。
皆さんはどうですか?
岩、見つけられていますか?
最後までお読みくださり、感謝いたします😌