日進月歩~よりよく生きる~

世界が美しく見えるお手伝いを

【報告】8月度のまとめ【御礼】

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こんにちは、Tomiです^^

暑い8月が今日で終わり。気づけば朝晩はかなり寒くなってきました。
いかがお過ごしでしょうか^^

今月のご報告として

  • 月間PV…615PV(対前月92)
  • 累計PV…1,762PV

ということで、先月と比べると100PVも増やすことが出来ました!
実は、開始した6月が一番PVはあったのですが…笑

9月からも引き続き頑張ってまりますのでよろしくお願いいたします。

今月も最後までお読みくださり、感謝いたします^^

来月もよろしくお願いいたします!

【教育論】フィードバック方法“ティーチング”

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こんにちは、Tomiです^^

先回の記事でフィードバックの重要性について触れました。
その中で、具体的なフィードバックの方法ということで“ティーチング”と“コーチング”について少しだけ解説を行いました。
この2つの手法は面白そうだったので、少し深堀りしてみたいと思います^ー^

2回に分けて、それぞれの手法についてまとめてみたいと思いますので、引き続き教育・指導に携わる方は参考にされてみてください。

コミュニケーションの形態

 教える側からの一方通行

ティーチングは“Teach”という言葉から分かる通り、指し示すという意味合いがあります。
具体的には、親から子へ、教師から生徒へ、上司から部下へ、という具合に「答え」を対象者に伝えるコミュニケーション形態を取ります。

したがって、コミュニケーションは基本的には一方方向となりますので、この特徴を押さえた上で、適切なタイミングで指導を行いましょう。

ティーチングが有効な場合3選

ティーチングで教えるのに向いている内容は「すでに答えが明確に決まっている事柄」になります。それぞれティーチングが効果を発揮する場面を見ていきましょう。

一度に多くの人を対象に伝える場合

マニュアルや規則、法令などに基づいて、同じことを多くの人に知って貰う場合はティーチングが有効です。

教えなくてはならない内容はすでに決まっているため、誰が指導者になったとしても一定ラインまでは対象者のスキル・能力を育てることが出来るのも大きなメリットの一つと言えるでしょう。

セミナーや講習会などは典型的な例かもしれません。
講師が資料に従って答えを伝える。参加者はそれに従って知識や能力を身につけていきます。

対象者のスキルや能力がまだ乏しい場合

対象者が新入社員だったり、まだ経験の浅い人だった場合はティーチングが有効です。
右も左も分からない対象者に対して「どうしてそのように考えたのか?」というような問いかけで答えを探していっても、そもそも答えを見出すだけの知識を持ち合わせていません。

基本的な内容やマニュアル指導などについては、ティーチングスタイルで指導したほうが効果的かつ効率的です。

山本五十六の「やってみせ、言って聞かせてさせてみて」というのは、このティーチングスタイルを表している段階だと思われます。

緊急性の高いタスクに取り組んでいる場合

すぐに答えが必要な場合、もしくは軌道修正が必要な場合といった“緊急性が高い案件”の場合もティーチングがおすすめです。

答えを一緒に導き出す、気づいてもらうという時間をかけている場合ではない時。例えば、明らかなマニュアル違反により業務に支障が出ている場合やクライアントがとても急いでいる場合、親子であれば子どもが危険な場所に立ち入ろうとしている場合等です。

ゆっくりと諭している場合ではなく、すぐに答えを伝える事によって改善・回避できる場合などは明確に答えを指し示し、軌道修正を行いましょう。

ティーチングのデメリット3選

前項まででティーチングが有効な場合を見てきました。
次は、ティーチングのデメリットについてまとめてみましたので、より適切なフィードバックが出来るよう参考にしてみてください^^

対象者が受動的になる

基本的に「答えを教えて、そのとおりに動いてもらう」という形を取りますので、対象者が指示待ちになってしまうことが挙げられます。
答えが与えられることを常に求めてしまうとも言えます。

個人の裁量や状況判断などが求められる業務についている人は、大筋のハズしてはいけないポイントをティーチングし、ある程度の成長が認められたら別のフィードバックに切り替えたほうがいいこともあります。

問題解決力が育たない場合がある

深く考えたり、自分の中にある正解に気づかせるというような方法をティーチングでは取らないため、答えを持っていない問題に対して迅速な対応が取れなくなる可能性があります。

現場に出た後は、ティーチングで身につけた知識や能力を使って仕事をさせてみて、問題が起きた時に“コーチング”を取り入れながらフォローを行っていきたいですね。

モチベーションが低くなりがち

今まで伝えてきたデメリットが重なって、対象者のモチベーションが下がってきたり、上がりにくかったりします。

初めの頃はもちろん「頑張ろう!」という気持ちを持っているとは思うのですが、答えを教えられる(この場合、新しいことを知ることもあれば、間違いを指摘され正されることもあります)だけになってくると、徐々に自分で考えることができなくなります、

結果的に、自分の裁量が少なくなってきますので、仕事を「作業」と捉えるようになり、モチベーションの低下を引き起こす可能性があります。

また、ティーチングでは教えられたことをやる、というスタンスになるため、なにか起きたときの責任の所在がどうしても指導側に来ることがあります。
自分で責任を持って仕事に臨めるような方向付けが出来るようなフィードバックを心がけたいですね。

 

いかがでしたでしょうか。
前回の記事の少し深堀りになりましたが、ティーチングが悪いということでもありません!

方法を知った上で、適切な場面で適切にフィードバックしてあげられるというのがポイントになります。
これからも指導、頑張っていきましょう^^

最後までお読みくださり、ありがとうございました^^

【教育論】フィードバックの重要性について

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こんにちは、Tomiです^^

職場において、部下の育成指導を行っている人はいらっしゃいますか?
とても大変ですよね…思ったとおりに言葉が伝わらなかったり、そもそもに能力が追いついてこず歯痒い思いをしたり。
社内でしっかりとした育成マニュアルや工程などが定められていればまだいいですが、これらがふわふわしていて「育成する人に一任」というようなこともしばしばあるのではないでしょうか。

私自身も、入社から13年が過ぎ、役職もいわゆる「中間管理職」として部下の育成指導も業務内容に入ってきております。
そんな私も、アルバイトの時、新入社員の時、別の部署に異動になった時と様々に「育成対象」として指導を受けてきた経験があります。
今現在も、管理職としての素質を高めるために、きっと上長から見守られているんだろうなぁと感じています。

今回は、こうした「人材育成・指導」に従事している方にお役に立てる内容かと思います。テーマは“フィードバック”。適切に行われないと、全く部下が育たなかったり、モチベーションをともに下げ続ける結果となりますので、ぜひ有効に活用していただければと思います^^

フィードバックとPDCAサイクルとの密接なつながり

フィードバックとは一体どういう意味でしょうか。

 の解説
[名](スル)
  1.  ある機構で、結果を原因側に戻すことで原因側を調節すること。電気回路では出力による入力の自動調整機能、生体では代謝内分泌の自己調節機能など。

  1. 2 物事への反応や結果をみて、改良・調整を加えること

  1.  顧客や視聴者など製品・サービスの利用者からの反応・意見・評価。また、そうした情報を関係者に伝えること。「現場からのフィードバックを設計に反映させる」「アンケートの結果を担当部門にフィードバックする」

  2. feedback(フィードバック)の意味 - goo国語辞書

  1. 人材育成におけるフィードバックとは、この場合2番のことを言いそうですね。
    部下の育生において、部下の行動に対して適切に意味付けを行なっていく。行動の是非を判断し、次の行動に生かしていく。
  2. 部下の成長が間違った方向に行かないように、指導者が方向付けを行うイメージでしょうか。
  3. 部下としても、良い悪いの判断をしてもらうことで自分の行動に意味を持たせることが出来るようになるため、モチベーションを高めながら業務に臨むことが出来ます。

人材育成についてはPDCAサイクルをしっかりと回していくことが重要であると感じています。

  • Plan:育成方針を丁寧に定め、成長した先の姿を明確にするとともに、その過程についてお互いに理解し合う
  • Do:方針・計画に沿って実際に行動を起こす
  • Check:行動の是非や効果測定を行い、進むべき方向が間違っていないかどうかを確認する
  • Action:次の行動に活かすよう改善を行う

フィードバックはこのサイクルで言うところの“Check”の部分を担っています。この確認部分が疎かになると、“Do”つまり行動のみ先行してしまい、部下の進むべき道がわからなくなってしまいます。

また、適切なフィードバックは「自分は見てもらっている」と部下が感じてくれるため、信頼関係の構築にも生かせます。

ティーチングとコーチン

フィードバックの具体的な方法に“ティーチング”と“コーチン”というものがあります。
使い分けがそれぞれ必要になってきます。

ティーチング

これは具体的に適切な方法を教えるやり方になります。
簡単な作業や、明確に正解がある内容についてはこの方法を行うといいでしょう。

また、部下の能力がまだ十分ではないときは、ティーチングによって「正解」を教えることで到達地点を意識させることが出来るので、成長が早いと思います。

しかし、ある程度の能力が備わってきたり、“ケースバイケース”の色が強い案件をティーチングで指導しようとすると、部下のモチベーションを維持できなくなったり、教える項目が多くなりすぎてパンクする(もしくは教えるのに著しく時間がかかり非効率)ことがあります。

コーチン

ティーチングは答えを教えて覚えてもらうという流れなのに対して、コーチングは部下の「気づき」にフォーカスをする方法になります。

ある程度知識のついてきた新入社員や、中堅社員のスキルアップなどに効果を発揮します。
互いの対話等をもとに「今の行動がどうだったのか」という事を掘り下げることで、部下により良い方法を見出してもらう形です。

この方法を行うことで、ケースバイケースの案件や、すでに一定の成果を出している部下の現状打破を行うきっかけを与えることが出来ます。

状況に応じて適切に使い分ける

どちらも一長一短があり、指導対象と指導内容によって向き不向きがあります。

どちらにせよ、フィードバックを行うという行為は相手のことをよく観察する必要があります
単に行動の結果のみをフィーチャーして良い悪いと判断することがフィードバックではありません。良いものはなぜ良いのか、失敗はなぜ失敗なのか、そこから何を学べるのか。こういう点を戦略的に引き出していくことが本来の目的です。

したがって、人材育成を行う上で、部下との信頼関係は必須になります。
指示を受けたとしても、上長と部下との間に信頼関係が希薄であれば、望んだ効果は得られないでしょう。

フィードバックの適切な間隔

一年間の総まとめとして受けたフィードバック

これは、実際に私が受けた「人事考課」という名のフィードバックになります。

役職も上がり、任される内容も増えてきたところでした。
個人的には役職に見合う仕事をしよう、自分にしか出来ないことをしよう、と息巻いていたところもありました。結果にもある程度の自負をもちつつ業務に臨んでいました。

そんなある日くばられた一枚のプリント。

内容は「自己評価シート」なるものでした。
自分の一年間?の仕事ぶりを振返り、それぞれの項目で評定をつけます。
その上で、なぜそのような評定になったのか、という事を自分なりに分析して根拠を示す(小論文みないな感じ)部分が裏面にありました。
最終的には上長からそれぞれに最終評定が下され、面談の中で「自身の考えている評価と会社が考えている評価」の乖離についてフィードバックするという流れでした。

賞与査定時期ということもあり(笑)、自分が行ってきたことをしっかりとアピールしてみました。

 

しかし、戻ってきた評価は想像を遥かに下回るものでした。

 

役職が上がることにより、求められていることが変わるという事をまざまざと痛感させられた事案でした。

今回の私の例を受け、個人的に問題だと感じたこと。それは

    • 自分に求められていることが明確ではなかった
    • 自分が出さなくてはいけない成果を履き違えていた
    • 方向性を正すことなく、一年間を走り続けてしまった

     

    と言ったところでしょうか。

基本は【早く】【多く】

お話をしたとおり、個人的には相当頑張っていたつもりでした。
しかし、組織が私に求めていたことと、私が組織に貢献してきたこととの間に乖離があったため、結果的に評価はいまいち、ということになったわけです。

自分自身の反省点としては、何を求められているのかの確認を怠ったことと、自分の立ち位置を見誤ったという慢心だったと思います。
また、普段のコミュニケーション不足も反省しなくてはいけません。上長との信頼関係の構築について甘えがあったことは事実だと思います。

そして、組織としての問題点としては、「フィードバックのタイミングと頻度」に欠陥があったことだと思います。

現在係長という役職であるため、私の上長は課長・部長ということになります。
係長といえど、一般社員と業務内容は大きく変わりませんから、日々の業務にお互い忙殺されて行き、結果的に今回の評価シートでお互いの意見を言い合うという形になってしまいました。

立場がどうであれ、フィードバックの基本は【早く】【多く】であると思います。
問題が認められた時に、短くてもいいので素早く軌道修正を行う。重大なエラーが起きている場合には、しっかりと立ち止まり意見の交換を行う。場合によってはティーチングによって正しい行動を叩き込まなくてはなりません。

上長として「君のことを見ている」というアピールとしても、多い回数のフィードバックは損にはなりません。
部下としては報告と相談の頻度を上げることでより適切な内容・回数のフィードバックを得られることでしょう。

単なる行動矯正にならないよう注意

しかしながら、回数を増やすだけではフィードバックの本来の機能を果たすことは出来ません。
ティーチング形式の時に起こりやすいように思いますが、フィードバックがただの「行動を矯正する」だけになってくると、相手も自分も指導にうんざりしてきてしまいます。
明確なマニュアルが存在しないにも関わらず、一挙手一投足に対してちまちまとフィードバックするのは部下のやる気に大きく影響しますし、上長の考えが間違っていた時に取り返しがつかなくなります。

また、マニュアルが存在していたとしても、マニュアルの欠陥が無いとも限りません。

やはり、人材育成においては「大きな流れ」を見失わないようにお互いが情報の共有・意識の共有を図ることが重要で、そのためのツールが「フィードバック」なのだと思います。

お互いに腐らないために

指導する側もされる側も、お互いに完璧ではありません。
私も部下の指導をしつつも、上長から指導を受ける立場でもあります。

先に述べた「大きな流れ」とはつまり、組織の目指すゴールであり、企業の経営理念であり、業種が社会に果たすべき目的なのだと思います。

私は組織としては葬儀を提供していますから、葬儀にまつわるお客様の顧客満足がゴールになります。
企業は冠婚葬祭とそれに付随するサービスを展開していますから、企業理念として何を大切にしているのかを見失ってはいけません。
そして、サービス業であることに変わりはありませんから、「お客様を不快にさせない」「心地よくなっていただく」というホスピタリティを重視しなくてはいけません。

こうした目的をしっかりと共通認識として持つことで、強力なマスターマインドを形成することが出来るのだと思います。

 

少し長い記事になりましたが、フィードバックの重要性を感じていただけましたでしょうか。

これからももっと詳しいお話、役に立つ内容を書いていけるよう、精進します(汗)

最後までお読みくださり、感謝いたします^^

【雑記】“自己重要感”という大きな欲求

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こんにちは、Tomiです^^

私達は、様々な欲求を抱えながら生活をしています。
食欲や睡眠欲といった本能に直結する「生存欲求」のほか、度々このブログでも取り上げる「承認欲求」のようなものまで。
マズローの5大欲求というのがありまして、これが端的に人間の欲求について表していると思います。

人間の承認欲求は根源に「大いなるものにアピールしたい」という欲求があるのではないか、と考えたことを書きました。
あくまで持論ではありましたが、自分自身の心に整理をつけるにはとてもいい解釈でした。

というのも、この自分を認めてほしいという欲求、自分が誰かから必要とされていたいという欲求は、人間関係をこじれさせる大きな要因となるからです。

自己重要感という悩み

承認欲求や自己重要感という感情は、どこまで行っても「一人称」であり、「自分を見てほしい」というベクトルでしか世界を見れないことにより、悩みを生みます。

ここで言う悩みとは「執着」みたいなものでしょうか。
この執着が正当に働くときには原動力となるわけですが、こじれてくると心に悩みの種を植えていきます。

最近どうにも、この手の感情がムクムクと顔をもたげており、自分的にも「うっとうなあ笑」と思っていたりします。

なぜこの欲求を正しい方向に向かわせることが出来ないのだろう、と考えていたところ、先の「大いなるものに認めてもらう」という考えが出てきたため、さもありなんということでまとめた次第です。

なかなかこの欲求は始末におえず、仕事やらプライベートやらでの役割が大きくなればなるほど、欲求もまた大きくなってくるみたいです。

立場に応じて求められるレベルが上がる

仕事において、一般社員であったときは「すごいね」と言われていたことが、役職が上がるにつれて「当たり前」になってくる。これは至極当然の流れかと思いますが、この部分にしっかりと周囲も自分もフォーカスをしていないと、この「自分の立ち位置がわからない感」が強まってきてしまい、何をしてもふわふわとしているように感じてしまいます。

家庭においても、一人でいるうちは自分のことだけで良かったものの、恋人ができれば彼氏彼女という立場で、結婚すれば配偶者として、子どもが生まれれば父親と母親としての立場が変化します。
この立場の変化は「何をされると喜ぶのか」という視点が大きく変わってきます。
父親になっているのに彼氏としての振る舞いで喜ばせようとしても、奥さんはきっと喜んでくれないでしょう。

結局、立場の変化をまずは受け入れる。そのうえでその共同体の中で何をなすべき存在なのかという事をしっかりと把握する必要があります。
この点がうまく行かないために、認めてもらいたいと言うような感情が見え隠れするようになります。

一人で解決するには時間がかかる

誰かに見てもらいたい、承認してもらいたいという感情は、一人でなんとかしようとすると解決までに時間がかかると思います。
この感情と向き合う時、まず周囲の人に「なぜ」という気持ちをぶつけるようになります。つまり、他責の念が出てくるわけです。

  • 自分はここまでやっているのに、上司が認めてくれない
  • 家族のために仕事をしているが、ねぎらってくれない
  • 夫の不在の間、家と子どもの世話をしているのに、夫は我感知せずの態度

といった具合です。
相手を責める気持ちが強くなればなるほど、跳ね返って自分を責める思いが強まってきます。相手を変えることは出来ませんし、相手を非難する思いはとてもエネルギーを使ってしまうからです。
自己嫌悪に陥りながら、ますます相手は自分のことを見てくれないというようなスパイラルに陥りかねません。

解決させるためには、いっそ相手にもとめていることを伝えてしまうほうが方向性が見えてスッキリする場合もあるかもしれません。

会社においては、「自分の役割は自分で見つけろ」というのはもはや古い考えかたではないかと思います。

  • なぜあなたが昇進したのか(何を期待されているのか)
  • あなたに課せられている(社内での)使命は何なのか

こうしたことを労使の関係でしっかりと話し合いをしておくことが重要だと思います。
役職を上げてみたがイマイチ結果が出ない。会社としても個人としてもフラストレーションを抱えて時間を無駄にすることになりかねません。

雇用形態が旧態依然としている日本の企業において、やはり個人個人の力をしっかりと活用していくには、そのスタッフと上長、従業員と経営陣との対話は必須であると感じます。

家庭においては、連れ添う時間が長くなればなるほど、「相手のことをわかったつもり」になりやすいです。結果的に、伝わっていると思ったことが全く伝わっていなかったり、お互いの不可侵領域にズカズカと入り込んでしまったりします。

家庭においても、しっかりと夫婦、親子でのコミュニケーションを取り

  • お互いが大切にしているもの・こと・思い
  • やってほしいこと・やってほしくないこと
  • 話してほしいこと

等を共通の認識として確認することが大切だと思います。
家族と言っても、最小単位としては個人です。踏み込んではいけない一線というのはきっと存在します。関係性が深いだけに、その一線を超えてしまうと修復するのが大変です。

お互いのことを思いやるのであれば、上記のコミュニケーションを大切にしていきたいものですね。

認めてもらう、というよりも認めさせる

この領域は私が追い求めているところでもあります。

やはり、誰かに認めてほしいと懇願するのではなく、自分の出来ることを淡々とこなし、成績を上げ続けるしか無いのだろうなと。
そうすれば、どこかで誰かが引き上げてくれる。それは周囲の人であることもありますし、見えない世界の大きな力が働いてステージを引き上げてくれる可能性も含みます。

短期的な目線で評価を気にしすぎず、「自分は人に対して承認をしまくる」くらいのゆとりを持って生活していきたいと、常日頃から念じています。

7つの習慣にも「まずは理解し、そして理解される」というものがあります。
他者も同じく認めてほしいと願う存在だと認識し、自分のできる範囲で極力存在をみとめてあげましょう。

もちろん、その時に下心があってはいけません。見返りを求めると、結果的に自分のために相手をみとめている、という打算的な人間になってしまいます。
人間臭いといえばそうですが、やはり大きな成功を見据えているのであれば、自分を少しずつ小さく、無私無我の境地を目指す必要がありそうです。

 

いかがでしたでしょうか。
雑記ということでまとめてみましたが、これは多分に自戒の念を込めた記事になっています。
まだまだ私も未熟者。

一緒に悩みながら成長していきたいですね^^

最後までお読みくださり、感謝いたします。

【人生論】私達が生きる理由

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こんにちは、Tomiです^^

“宗教”というとなんとなく怪しいもの、遠ざけたいものと言うような印象が強い日本の気質ですが、個人的には宗教と出会うことが出来て本当に良かったと思います。

救われたとか、人生が幸福になったとか、奇跡が起きたとか、そういうようなこの世的に現象としてあらわれている物事ではなく、精神的なことを学ぶ機会を得られたというところにとても感謝をしています。

「目覚めろとか、真実をしれとか、余計なお世話だ」

なんて、思っていた時期が私にもありました。
ですが、実際に自分が経験・学びを深めていくと、なるほど面白いという感想に変わっていきました。
そして、面白い・興味深いと思ったこと、自分が真に良いと思ったことについては他の人にシェアしたくなるのが人間というもの。
私も折に触れて発信をしていますが、信じるかどうかは個人の自由ではあります。
ですが、信じるかどうかに関わらず、やっぱり思うのは「世界は美しい」ということ。

そして、その世界に住まう私達は、すべて「愛おしい存在」であるということ。

聖人君子のようなことを言っていますが、私ももちろん嫌いな人・苦手な人はいます。
過去にはこの人とは二度と関わりたくない、と思うほどの人もいました。

そんな人を許せるようになったのも、結局宗教を勉強する中で自身の見識を広げることが出来たからだと思っています。

私達は何をするために生きているのか

皆さんは、人生にどんな目的を持って生きていますか?

自分にはどんな使命があると思いますか?

きっと、深く考えたこともない人もいらっしゃると思います。
ですが、今の生活に「なんとなく違うなー」って感じる人は、もしかすると心が求めている本当の「使命」に背いた生き方をしているのかもしれません。

私の教わっている生きる目的は、心(私達は魂とよんでいます)をより向上させるための勉強をしにこの世に生まれているとされています。
そして、その中で「自分の問題集」を解きながら、過去の魂の傾向性(考え方の癖)やカルマの摘み取りを行っているという考えかたに立脚しています。

大前提として、この魂という自分の本体をより高次元にさせるために生きている。そのうえで「この世では〇〇を行う!」という事を本来いた世界で計画してこの世に降りて(生まれて)きています。
この計画は基本的には忘れて産声をあげますから、例えば政治家になって世界をより良い方向に導くリーダーになりたいと計画してきていても、一会社員として鬱々として生活しているかもしれません。犯罪に手を染めているかもしれません。

最終的に、この世で行った業績をプラスとマイナスとで判定し、あの世での魂の経験値とレベルが判定される、というようなイメージです(この時、いわゆる「地獄」というところで反省が必要と判断されることもあります)。

宗教らしいものを信仰していなくても、成功している経営者の方々は「神様」とか「目に見えないもの」というものに対する畏怖の念を持っていたことは間違いありません。
こういう方々は、きっと自分の天命・使命に気づき、それに率直に素直に生きていった結果成功されていたのだと思います。

この世の森羅万象が「愛おしい」

元いた世界(天上界と呼んでいます)で大いなるものと約束して、この世で成長するために生まれてきている。成長するためには「人をどれだけ幸せにできたかどうか」が判定されるとすれば、そうした勉強と努力の結果として様々なものが存在しているといえます。

まずもって生命はすべからく愛おしい存在ですし、それらが生み出した有機物・無機物、全てが生命活動の結果として存在していると考えるならば、それら一つ一つから光が出ているように感じます。

もちろん、こうした考えかたを一切信じず、学ばず、他者に対する愛の足りない「無明」を生きる人々もいます。
戦争を肯定するつもりもありませんし、某国のように民族浄化を是としているような国を許すわけにも行きません。

そうであったとしても、すべての人は生まれたときは善であり、愛すべき存在なんだなぁと、最近強く思います。

こうして、皆が幸せを追い求めて作り上げてきたこの世界は、森羅万象、全てが輝く存在なのだなぁと。

なぜ人間には承認欲求があるのか

認められたい、必要とされたい、こうした欲求は人間にもともと備わっているものであり、おそらくこの欲求とは末永く付き合っていかなくてはならないのだろうと思います。

では、なぜこのような悩みの根源になるようなものを残して人間を創ったのか。

ここからは完全に私の持論になります。

この世に生まれてきているすべての存在は、神様の考えをこの3次元に表現するために生まれてきているのではないかと。
そのために計画を立て、目標を定め、生まれてきているのではないかと。

結果的に、子どもが親や大人に認めてもらいたいが如くに、魂の親であるところの“神様”に「こんなことを体現しました、表現しました、価値を生みました」と報告したいという強い強い願いがあるのではないかと思うのです。

これが、この世に生まれてくる時に霊的な考えかたを忘れてくるために、「誰に」という部分がすり替わって欲求として出てきてしまうのではないかなぁと。

そう考えると、もっと認めてほしい、もっと必要としてほしい、という欲求はそのまま「大いなるものの役に立ちたい」という魂の欲求に根っこがつながるのではないかと思うのです。

申し上げたとおり、あくまで持論です。
こうした小難しいことを考えながら生きている私ですが、おかげで世界は昔よりもとても明るく輝いて見えるようになりました。

多くの仲間達とともにマスターマインドをくみ、様々な課題を解決しながら問題集を解いていく。
失敗することも、途中で幕を下ろすこともあるでしょう。
ですが、そうであったとしても、何も残らないわけではなく、その人が生きた証は後世に残りますし、あの世に戻ったときには心と智慧を持って帰れるわけです。

生きる上で無駄なことは一切なく、きっと誰かを幸せにできています。
これはとても大きなことです。

今に信じられなかったとしても、今後折々で自分の使命に向き合う時が来るかもしれません。
そんな時に、私の線と皆さんの線が重なる時が来れば、これはとても幸運なことだなと、そう信じています。

 

最後までお読みくださり、感謝いたします^^

【経営論】企業が発展しながら存続するためには

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こんにちは、Tomiです^^

 前回、「マスターマインド」ということについて触れました。皆さんが、それぞれ所属する組織・企業・チームでどのような目的を持って活動していくかということを書きました。

今回は、特に企業にフォーカスをして「自分の所属する企業がどうやったら存続出来るのか」ということについて書いてみたいと思います。
コロナ禍において、多くの企業の方々が今後の存続について不安を抱えていらっしゃると思います。売上の落ち込み、従業員の不足、後継者問題…コロナ禍前から悩んでいらっしゃった方は更に追い打ちを受けるような格好だったと思います。

いち中間管理職風情ではありますが、少しでも学んだことをお伝えし、企業・組織を存続させるための糸口になってくれれば幸いです^^

 【結論】経営理念を見つめ直す

自分の会社(チーム)は何を目的としているのか

前回の記事で、「目的・理念の無い組織は存在理由がない」という話をしました。いくらチームを組んだところで、そのチームが何をするために組織されたものなのかが明確でなければ、空中分解してしまうのは自明の理です。

企業において、末端の社員は「自分たちの販売している商品は〇〇」くらいのことは下地として言えるようになっていると思います。しかし、それがチーム長、部長、社長と役割が上がるにつれて、おそらく「見えている世界が変わってくる」と思うのです。

例えば、社長は「社会貢献」というような壮大な目的を持っていたとしても、末端社員に行けば行くほど「作業」や「物売り」が目的になっていくことがあるのではないでしょうか。
結果的に「企業」というチームは向かう方向がちぐはぐになり、業績の悪化や社員の満足度の低下等を引き起こすことになります。

したがって、今一度自分たちの組織が何を目的としているのか、という「理念」を明確にし、その上でその理念を「末端社員まで徹底して浸透させる」ということが大切だと思います。

その目的は社会から必要とされているか

社会情勢は刻一刻と変化しています。私達が相手にしなくてはいけない顧客のニーズもそれに伴い様々に変化していることでしょう。そうした中で、理念をしっかりと見つけ出したところで、再度検討してほしいことがあります。

それは、「社会から本当に必要とされているかどうか」という点の見つめ直しです。

どんなに格好の良い目的を決めたとしても、地域社会がそれを必要としているかどうか、ということは存続を決める大きな要素になります。

例えば、これから「ポケベルを世界に普及させてコミュニケーションを円滑にする!」みたいなことを言い始めたとしても、その目的は社会から必要とされておらず、存続することは難しいでしょう(少なくとも今現在においては…)。

したがって、今の私達を取り巻く社会、さらにはその未来を取り巻く環境において「必要とされるもの」を目的に盛り込むことが存続するための必要条件になってくるように思います。

チームの成果は誰を喜ばせているのか

上記の「必要とされるかどうか」といと重なってくる所もありますが、企業が何かしらの経済活動を行う中で誰がどのように喜ぶのか、という事をしっかりとイメージする必要があると思います。

企業は売上を上げることが目的、というように取られることもありますが、企業が売上を追求するのは「存続するための原資を稼ぐため」であって、それ自体が目的になってはいけないでしょう。
そこで、なぜ存続しなくてはいけないのか、存続することで社会に対してどのような価値を生み出していけるのか。こうしたことと真摯に向き合わなくてはならないと思います。

逆に、誰が喜ぶのか、という事を明確にもち続けそれを実際にやっているとすれば、その組織はなくなることはないはずです。

「発展」していくことが重要

組織を存続させることも大切ですが、それと同じくらいに大切なことは「発展させていくこと」だと思います。

「現状維持は後退」とよく言われます。
社会情勢は大きく変化を続けているため、自分たちが同じところに居るということは相対的に見て「後退」しているのと同じことになります。

また、現状維持を良しとするということは、それ以上価値を生み出さないということを決めているということになります。この世の原理として「価値を生み出すものが残っていく」と考えると、これも相対的に考えて生む価値の量が減っていくということはそれだけ淘汰される可能性が高まるということになります。

やはり、常に自分たちの目指すべき方向を見定めておきつつ、「世界に貢献する」という目的で活動することが大切なのかもしれません。


いかがでしたでしょうか^^

マスターマインドの最小単位は「家族」となります。
家族が常に「世界を喜ばせるため」に組織運営されていたとしたら、世の中の不幸は一つ一つ減っていくのかもしれませんね^^

最後までお読みくださり、感謝いたします^^ 

【組織論】“マスターマインド”という考え方

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こんにちは、Tomiです^^

皆さんは、マスターマインドという言葉をご存知でしょうか?
私が知るところだと、ナポレオン・ヒルという方が提唱した、「ある目的に対して一緒に取り組む同士」みたいな意味であったように思います。
(意味を調べてもナポレオン・ヒル氏に行き当たらないみたいですが…笑)

ナポレオン・ヒル氏は「思考は現実化する」等を記し、いわゆる自己啓発自己実現等において有名な方です。

その中でこの「マスターマインド」という考え方を提唱しています。
人は一人で何事かをなすことは出来ず、協力者や同士を伴って大きなことをなしていきます。
この同士のことをマスターマインドと呼び、ただの仲間よりも繋がりが強く、同じ目標に向かって願望を同じくする共同体、というようなニュアンスになります。

どんなときでもこのマスターマインドという考え方を忘れずに組織運営を進めていけば、困難な壁にも立ち向かえるということですね。

社内でのリーダーポジションにある方はもちろん、チームで仕事をしている方々、チームの一員の方にもぜひ知ってほしい内容となっていますので、最後までご覧いただけるとうれしいです^^

共通の目的

マスターマインドは、「共通の目的」に向かって進む二人以上からなる組織体となります。
この共通の目的がはっきりしていればしているほど、グループの推進力は高くなります。目的というのは、迷ったときの道標になったり、立ち返るべき基準になったりするからです。

目的、というとわかりにくいかもしれませんが企業で言えば“経営理念”などと言い換えられるかもしれません。家族という最小単位のマスターマインドで考えるなら“教育方針”や“〇〇家 家訓”などと言い換えることも出来るかもしれません。

何れにせよ、あるチームを組もうとした時に、その目的がはっきりしていないということは「存在理由が無い」ということになりますから、とても重要なものになります。

  • 組織で仕事をしているがまとまりがない
  • 家族で生活しているけれども違う方向を向いている

というような感じがする場合は、一度組織の目的を見つめ直してみてはいかがでしょうか?

リーダーに求められる素質

マスターマインドとして目的を明確にした組織を作ることが出来たとして、リーダーには何が求められるのでしょうか。
能力?知識?人望?

様々に思い付きそうです。最近、こうしたリーダー論について知り合いと相談をすることがありました。
その方は有名チェーン店の店長なども経験しながら組織論・リーダー論を学ばれていた方でした。その方とお話した時に、とても大きなヒントを頂きました。それは

リーダーに求められるのは1にも2にも「熱意」

ということでした。
燃えるような願望。皆を導いていきたいという強い思い。なんとしても目的を達成させたいという欲求。こうした「熱意」を持っていることが、リーダーの最低限かつ最高の条件であるとのことでした。

目的を見失いそうな時、諦めそうな時、道を間違えた時。様々な失敗の要因を目の前にした時に、どれだけ明るい未来の展望を仲間たちに指し示すことが出来るか。これがリーダーに必要とされる要素であり、「熱意」なんだと思います。

ナポレオン・ヒル氏は、マスターマインドの他に「燃えるような願望(バーニングデザイア)」が重要だと説いています。熱意とつながってくるところです。 

リーダーの器と成功

未来の明るい展望、目的を達成したときに見える世界をしっかりとメンバーと共有できるというのは、チームの推進力を大いに高めることになります。
そのためには、熱意ももちろん必要としつつも、「先見性」という能力も見過ごせません。先見性を磨くためには、正しい知識を蓄え続ける必要があります。

また、その知識の中で「人間学」をしっかりと蓄えていくことで、先見性とマネジメント力を兼ね備えたリーダーとなることが出来ます。
知識のみを蓄えすぎると、合理的な考え方に偏っていくことになりかねませんが、その根底には強い「熱意」がある。そういうリーダーが求められているのではないでしょうか。

こうしたリーダーとしての素質を丁寧に磨いていくと、その人の「器」が大きくなっていきます。
この器の大きさが、組織の成功の度合いを決めるというのは有名な話です。トップに立つ人の度量・能力、つまり「器の大きさ」が成功のキャパになってくるということですね。どんなに能力が高い人が集まっていたとしても、リーダーの器が小さければ、その器に入るだけの成功しか手に入りません。逆に、能力は人並みな組織だったとしても、リーダーの器が大きければ、ちゃんと器に収まるだけの成功を収めることが出来るはずです。

人材育成で悩んでいる昨今ですが、「教育する側の教育」という視点も必要だなぁ…と感じているところで今回のマスターマインドの話やリーダー論を聞くことが出来たので、とてもためになりました。

皆様はどうでしょうか?
少しでも悩みを共感し、解決するきっかけになれるよう、私も精進していきます!

本日もお読みくださり、感謝いたします^^