【雑記】“自己重要感”という大きな欲求
こんにちは、Tomiです^^
私達は、様々な欲求を抱えながら生活をしています。
食欲や睡眠欲といった本能に直結する「生存欲求」のほか、度々このブログでも取り上げる「承認欲求」のようなものまで。
マズローの5大欲求というのがありまして、これが端的に人間の欲求について表していると思います。
人間の承認欲求は根源に「大いなるものにアピールしたい」という欲求があるのではないか、と考えたことを書きました。
あくまで持論ではありましたが、自分自身の心に整理をつけるにはとてもいい解釈でした。
というのも、この自分を認めてほしいという欲求、自分が誰かから必要とされていたいという欲求は、人間関係をこじれさせる大きな要因となるからです。
自己重要感という悩み
承認欲求や自己重要感という感情は、どこまで行っても「一人称」であり、「自分を見てほしい」というベクトルでしか世界を見れないことにより、悩みを生みます。
ここで言う悩みとは「執着」みたいなものでしょうか。
この執着が正当に働くときには原動力となるわけですが、こじれてくると心に悩みの種を植えていきます。
最近どうにも、この手の感情がムクムクと顔をもたげており、自分的にも「うっとうなあ笑」と思っていたりします。
なぜこの欲求を正しい方向に向かわせることが出来ないのだろう、と考えていたところ、先の「大いなるものに認めてもらう」という考えが出てきたため、さもありなんということでまとめた次第です。
なかなかこの欲求は始末におえず、仕事やらプライベートやらでの役割が大きくなればなるほど、欲求もまた大きくなってくるみたいです。
立場に応じて求められるレベルが上がる
仕事において、一般社員であったときは「すごいね」と言われていたことが、役職が上がるにつれて「当たり前」になってくる。これは至極当然の流れかと思いますが、この部分にしっかりと周囲も自分もフォーカスをしていないと、この「自分の立ち位置がわからない感」が強まってきてしまい、何をしてもふわふわとしているように感じてしまいます。
家庭においても、一人でいるうちは自分のことだけで良かったものの、恋人ができれば彼氏彼女という立場で、結婚すれば配偶者として、子どもが生まれれば父親と母親としての立場が変化します。
この立場の変化は「何をされると喜ぶのか」という視点が大きく変わってきます。
父親になっているのに彼氏としての振る舞いで喜ばせようとしても、奥さんはきっと喜んでくれないでしょう。
結局、立場の変化をまずは受け入れる。そのうえでその共同体の中で何をなすべき存在なのかという事をしっかりと把握する必要があります。
この点がうまく行かないために、認めてもらいたいと言うような感情が見え隠れするようになります。
一人で解決するには時間がかかる
誰かに見てもらいたい、承認してもらいたいという感情は、一人でなんとかしようとすると解決までに時間がかかると思います。
この感情と向き合う時、まず周囲の人に「なぜ」という気持ちをぶつけるようになります。つまり、他責の念が出てくるわけです。
- 自分はここまでやっているのに、上司が認めてくれない
- 家族のために仕事をしているが、ねぎらってくれない
- 夫の不在の間、家と子どもの世話をしているのに、夫は我感知せずの態度
といった具合です。
相手を責める気持ちが強くなればなるほど、跳ね返って自分を責める思いが強まってきます。相手を変えることは出来ませんし、相手を非難する思いはとてもエネルギーを使ってしまうからです。
自己嫌悪に陥りながら、ますます相手は自分のことを見てくれないというようなスパイラルに陥りかねません。
解決させるためには、いっそ相手にもとめていることを伝えてしまうほうが方向性が見えてスッキリする場合もあるかもしれません。
会社においては、「自分の役割は自分で見つけろ」というのはもはや古い考えかたではないかと思います。
- なぜあなたが昇進したのか(何を期待されているのか)
- あなたに課せられている(社内での)使命は何なのか
こうしたことを労使の関係でしっかりと話し合いをしておくことが重要だと思います。
役職を上げてみたがイマイチ結果が出ない。会社としても個人としてもフラストレーションを抱えて時間を無駄にすることになりかねません。
雇用形態が旧態依然としている日本の企業において、やはり個人個人の力をしっかりと活用していくには、そのスタッフと上長、従業員と経営陣との対話は必須であると感じます。
家庭においては、連れ添う時間が長くなればなるほど、「相手のことをわかったつもり」になりやすいです。結果的に、伝わっていると思ったことが全く伝わっていなかったり、お互いの不可侵領域にズカズカと入り込んでしまったりします。
家庭においても、しっかりと夫婦、親子でのコミュニケーションを取り
- お互いが大切にしているもの・こと・思い
- やってほしいこと・やってほしくないこと
- 話してほしいこと
等を共通の認識として確認することが大切だと思います。
家族と言っても、最小単位としては個人です。踏み込んではいけない一線というのはきっと存在します。関係性が深いだけに、その一線を超えてしまうと修復するのが大変です。
お互いのことを思いやるのであれば、上記のコミュニケーションを大切にしていきたいものですね。
認めてもらう、というよりも認めさせる
この領域は私が追い求めているところでもあります。
やはり、誰かに認めてほしいと懇願するのではなく、自分の出来ることを淡々とこなし、成績を上げ続けるしか無いのだろうなと。
そうすれば、どこかで誰かが引き上げてくれる。それは周囲の人であることもありますし、見えない世界の大きな力が働いてステージを引き上げてくれる可能性も含みます。
短期的な目線で評価を気にしすぎず、「自分は人に対して承認をしまくる」くらいのゆとりを持って生活していきたいと、常日頃から念じています。
7つの習慣にも「まずは理解し、そして理解される」というものがあります。
他者も同じく認めてほしいと願う存在だと認識し、自分のできる範囲で極力存在をみとめてあげましょう。
もちろん、その時に下心があってはいけません。見返りを求めると、結果的に自分のために相手をみとめている、という打算的な人間になってしまいます。
人間臭いといえばそうですが、やはり大きな成功を見据えているのであれば、自分を少しずつ小さく、無私無我の境地を目指す必要がありそうです。
いかがでしたでしょうか。
雑記ということでまとめてみましたが、これは多分に自戒の念を込めた記事になっています。
まだまだ私も未熟者。
一緒に悩みながら成長していきたいですね^^
最後までお読みくださり、感謝いたします。