【謹賀新年】新年のご挨拶
こんにちは、Tomiです^^
皆様、あけましておめでとうございます!
昨年はブログへのアクセス、大変有り難うございました^^
今年もどうぞよろしくお願いいたします!
今年は寅年ということで、私の生まれの干支となります🐅
歳男だからどうということもありませんけれども、一つの節目の年と位置づけて、よりいっそう奮起していきたいと思いますので、何卒よろしくお願い申し上げます!
目次
昨年のご報告
- 記事投稿開始…2021年6月1日
- 投稿記事数…144記事
- 総アクセス数…2,908PV
半年間の投稿で3,000回に一歩届かずといったところでした。
その中で毎日更新を目標に掲げておりましたが、月単位で投稿をお休みしたこともありました。
毎日更新の大変さを実感しました(笑)
ですが、アクセス解析を見つめていると、更新がない日でも0アクセスということはなく、毎日どなたかが、どこかからのアクセスをして下さっていました。
本当に励みになりましたし、すこしでも良い情報を蓄え、発信しなくてはというモチベーションになりました。
本当にありがとうございました!
2022年の目標(ブログ)
昨年の実績を踏まえて、今年の目標を立てます!
- 投稿記事数…300オーバー
- 総アクセス数…10,000オーバー
- いただくスター…500オーバー
- 収益…1円オーバー(笑)
上2つはおそらくきちんと投稿をがんばっていけばクリア可能だと思います。
下2つはちょっと考えながらサイトを運営しないと行けないかなと思います。
スターについてははてなブログ内での知名度を高める必要がありますので、これについては私も他のブロガーさんを積極的に訪ねて行かなくてはと思っています。
収益に関しては、まだアフィリエイトなどの設定が完了していないため、ただの商品紹介のみになっているところがありますから、ご紹介した書籍やサービスなどをどなたかがご利用されて・・・というのを目標に頑張ってみたいと思います!
⇑実際に副収入として、とまでは考えていませんが、一つの成功体験として…笑
2022年の目標(個人)
ブログを書くに当たって、たくさんの経験をしております。
今年は更に知識の幅を広げていきたいと思っています。
今年の個人的な目標としては
などを行っていきたいなと思っています。
SNSは現在インスタとフェイスブックを連携させて使用していますが、個人のものを使用しているためブログの関係と個人的な投稿がごちゃごちゃになってなんとなく見にくい感じになってしまっています笑
なので、専用のインスタアカウントを作成し、そちらをうまく活用してみたいなと思っています。
ツイッターについても専用アカウントを作成し、随時更新を広めてみたいと思います。
Youtubeについては完全に興味本位ではありますが、書評チャンネルを立ち上げてみたいなと…
自分自身もインプットとして数多くのチャンネル様を拝見しており、刺激を受けています。
できる範囲でチャンネルを作ってみたいなー、というのが現在の大きな夢であります笑
以上、一年の計でした!
これからも当ブログをよろしくお願いいたします^^
皆様に、今年一年 幸多からんことを心から祈念申し上げます^^
【人生論】人生をマイホーム建設に例えるVol.4
こんにちは、Tomiです^^
今回はちょっと激しめの画像でごめんなさい汗
備忘録として始めた「人生をマイホーム建設に例える」シリーズになります^^
前回、「行動や選択、思いによって家を作るための資材を集める」という話をしました。
その中で「正しい選択や行動」という話が出てきたので、今回はこの「善悪・正誤」というところを深堀したいと思います^^
目次
基本的には「周囲に害を与えない」が最低ライン
その時々の状況によって物事の善悪というのは微妙に変わってくるものだと思います。
したがって「普遍的な善、絶対的な善」というものは取り出して「これ!」とは言いにくいです。
そこで、最低ラインとして「周囲に害を与えない」という心持ちで生活・選択・行動を心がけてみてはいかがでしょうか。
生きていれば、誰かを傷つけることもありますし、嘘をついてしまうこともあります。
その場の空気に合わせて誰かの悪口をいうこともありますし、自分に甘い怠惰な行動をとってしまうこともあると思います。
中には犯罪といわれるような行動をとってしまう人もいるでしょう。
画像にあるように相手の命を奪うようなことも(故意かどうかは別にして)あると思います。
こうした「周囲(の環境や人)に害を与える行動」というのは、基本的には「悪」であると考えると、善悪の基準が一つ明確になるのではないでしょうか?
基準が明確になれば、「今の自分の行動や思いは正しかったのか?」という問いから反省をすることができます。
悪を働くとどうなるのか
実際に悪を働いてしまった場合、周囲に害を与えてしまった場合、”あの世のマイホーム”的には何が起きているのでしょうか。
ここからはまたイメージしていただく形になります。
自分一人で資材を集めて、土地を決めて、設計図をもとに組み立てるのであれば問題ないのですが、あの世でも他者とのかかわりはなくなりません。
現在あなたの横にいる友達も、家族も、道行く人も、みんな同じ条件で生きているわけです。
ではなぜ人に害を与えると悪なのか。
それは、「相手の設計図や資材にも影響を与えてしまうから」だと思ってください。
家を建てているとき、ようやくそろえた資材を、誰かに盗まれたらどう思いますか?
設計図に沿って基礎を作り始めたのに、設計図を破かれたり、落書きをされたらどうですか?
まだまだ資材が整っていないのに、突然資材集めを止めさせられたらどうでしょうか。
この世での生活においては、罰せられるということはあったとしても、基本的には何をするのも自由です。
最悪、殺人ですら「やる」こと自体はできます。
法的に拘束されているだけであって、人間の行動の選択肢としては選択可能なわけですね。
ですが、こうした「他者を害する行動や思い」は自分の人生だけにとどまらず、相手の人生にも影響してしまうという点がとても厄介なのです。
したがって、少なくとも相手を害さない、思いやりを持って行動するということが自分の人生においても相手の人生においても大切になってくるわけです。
幸福の総量を増やす行動が最善
悪い行動については触れました。
ではよい行動とはどのようなものをいうのでしょうか。
私が思うにそれは
「自他を含めた幸福の総量を増やす行動」
なんだと思います。
単純に困っている人がいれば助ける、毎日笑顔で生きる、悲しんでいる人がいれば寄り添ってあげる。
こうした”誰かの幸福に寄与する行動”がとれる人は、きっと死後の世界の土地もよい条件になるでしょうし、「SSR資材確定ガチャ」を引く権利(笑)も与えられるのではないでしょうか。
自己実現や自己研鑽においても、あなた自身の能力や知識が増えれば増えるほど、助けられる人の数が増えるので、肯定されるべきものであると思います。
(もちろん、思いの中で自分の幸福のみを追求している場合は査定が入ると思います)
より良い家に住んで、あの世での生活も幸福にしていきたいですね^^
【人生論】人生をマイホーム建設に例えるVol.3
こんにちは、Tomiです^^
備忘録的に始めた「人生をマイホーム建設に例える」シリーズの第三弾です^^
前回・前々回の記事も皆様からたくさんお読みいただいたみたいでうれしかったです。
なかなか読みにくい文章で申し訳ないですが、今回もぜひご覧いただければと思います^^
目次
”生き方”が重要なわけ
家を建てるにあたって、土地と設計図は見えてきました。
では、実際に建設しましょう!となった場合に必要となってくるのが”資材”です。
人生を生きていく中で、様々な選択・決断をしているということは前回までで触れてきました。
前回では、その決断によって設計図が書き換わっていく、というような旨の話をしましたが、どちらかというと「得られる資材が変わる」といった方がしっくりくるかもしれません。
ガチャガチャをイメージしてもらうとわかるかもしれませんが、この世での行為や思い、選択の如何によって、「資材ガチャ」を一回引けるものと思ってください。
良い行いや思いをした人は良い資材が出るガチャから、その逆は粗悪な資材が出るガチャからそれぞれ資材をゲットし、あの世にストックしていると考えるといいでしょう。
どんなに生まれてくるときの家の設計図が立派だったとしても、得られた資材が粗悪なもので、さらに土地の価値も非常に劣悪であれば、望んだとおりの生活はできるはずもありません。
したがって、この世で生きる上で「正しく生きる・良く生きる」ということはとても大切な事なのです。
しかし、「正しさ」の判定は非常に難しいところであると思いますから、次回の記事でもう少し正しさについて深堀したいと思います。
いずれにせよ、「生き方」があの世のマイホームを作るうえでの「資材」を決めているとイメージされると、「よく生きよう」という意識だけは芽生えるのではないでしょうか。
表に出した言動だけではなく”思い”も重要
実際に行動した、発言した、選択した、という内容の是非はもちろん問われるわけですが、「心の中で思ったこと」についてもあの世の世界ではしっかりと判定されていたりします。
あまりいい表現ではありませんが、表ではとても聖人君子として生活していたとしても、心の中において人を傷つけたり憎んだりしていると、その結果についてもしっかりと判定がなされるということです。
この世で実際に動いた結果のみでガチャが行われるのではなく、思いによってもガチャが行われてしまう、ということです。
実際、心が中心ではあるため、その表現として現世で行動として現れるわけですから、まったく心と行動が逆方向、という人は珍しいかと思います。
しかし、一瞬一瞬の判断や思考においては、いつもいい人であっても悪い思いを出すこともありますし、逆に普段嫌われているような人でもとても徳のある思いを出すこともあるでしょう。
結局、こうした心の動きを統御することが難しいため、過去の偉人や宗教の始祖たちはストイックに修行ともとれる人生を歩んでいたわけですね。
いかがでしょうか。
今まで生きてきた過去を振り返ってみて、あの世の倉庫には良い資材が並んでいるでしょうか?^^
【人生論】人生をマイホーム建設に例えるVol.2
こんにちは、Tomiです^^
前回から始めた備忘録「人生をマイホーム建設に例える」シリーズです。
前回の記事↓
thinkbetter-777.hatenablog.com
前回の記事では、「この世の生き方が、死後の世界の住む”土地”を決める」という話をしました。
今回の記事では、その家の”設計図”についての話をしてみたいと思います^^
人生をある程度予定して生まれてくる
私たちの本質が「魂」であるということは前回触れました。
この魂が「より成長したい、新しい経験をしたい」ということでこの世に生まれてきて、様々な人生経験を通しながら、その魂を磨いていくというのが、この世で生きる意味の前提になります。
この前提に立つと、あの世の世界で「こういうことをしたい」というおおよその予定・計画は既に決められているということがわかります。
これを、超ざっくりと決めてくる場合もあれば、カチッと決めてくる場合もあります。
いずれにせよ、この世に生まれてきた時点でその計画は忘れている場合がほとんどです。(まれに前世の記憶や生まれる前の記憶を持っている人もいるみたいですが、激レアです)
つまりこの魂がもともと計画していた人生設計というのは、「次に戻ってきたときの家の設計図」ともとれるわけですね。
問題集にどう答えたか、によって設計図が変わってくる
- 偉大な人物になり、多くの人を導くリーダーになりたい
- クリエイティブな仕事をしたい
- ボランティア活動を通して人を救う仕事をしたい
というような計画を持って私たちは生まれてきているわけですが、それをいったん忘れて修行に励むことになります。
すると、その計画に沿った行動や選択・決断をすることもあれば、まったく関係ない行動や誤った選択・決断をしてしまうことも多いはずです。
最終的には死後に総決算としてどのような土地にどのような家を建てるのかということがわかることになるのですが、生きている間はそれを予想することはできません。
やりたいことが見つからない、という悩みはいつの時代もあったのかもしれませんが、「本来の自分自身」と向き合う中で心がウキウキするような行動・選択ができる人は、魂の予定に沿った人生を歩めているのかもしれません。
人生は一冊の問題集であり、様々な困難や苦難が待ち受けています。
その問題一つ一つにどのように回答していくか、によって死後の世界のマイホームがどんな形になるのかが決まるとイメージしてみてください。
- 快適なのか、不便なのか
- 整然としているのか、ごちゃごちゃしているのか
その他さまざまな要素が選択一つ一つによって書き換えられ、盛り込まれていくことになります。
そう考えれば、今自分が行っている行為を改めて見直すことができるようになるのではないでしょうか?^^
【人生論】人生をマイホームの建設に例える
こんにちは、Tomiです^^
最近、「生きる」ということについて深く考えることが多くなってきました。
巷に成功哲学やらFIREやらと様々な情報があふれる中で、「本当の幸福」とか「生きる意味」みたいなことをずーっと考えています。
読書も続けていますし、今後(直近来年1年)のやりたいことなども見つかり始めたので、投稿拒否(笑)もやめて、また綴っていこうと思います^^
今回は、本の内容紹介とは別に、最近考えたことを備忘録的に綴っていこうと思います。
人生を「マイホーム建設に例える」という、壮大な試み(笑)ですので、何度かに分かれるかと思いますが、皆様も「ご自身の生きる意味」について考えるきっかけにしていただけたら幸いです^^
目次
死後の世界を意識する
鋼の錬金術師というアニメの主人公が、人間の構成物質について語るシーンがあります。
ちょっとのお金があれば誰でも簡単に集めることができる素材ばかりなのに、何故か人間を錬成することができないでいる。なにかが足りない、何かが…
確かに、人間は現在、亡くなったあとは火葬されるわけですが、ちゃんと灰になります。あれやこれやと学んだり悩んだり、愛を育んだり誰かを傷つけたり。様々な歴史を刻んできたその「一人の人」も、この世を去ったあとは特別なものではなく、「可燃物」であり、特別な何かが形として残ることはありません。
おそらく、こうした厳然たるこの世の現実というものが、唯物論や無神論というような考え方を生み出し、「人間も死んだら終わり」というような発想を作り出してしまうのかなと思ったりします。
では、死んだあとはどうなるのでしょうか。
この「死後の世界」をきちんと見据えないことには、「生きる意味」というのは見えてこないのではないか、と思います。
更に、この死後の世界などは主に宗教の領域であり、「信じるか否か」という一本の線を飛び越えるかどうかで見え方がガラリと変わってくることもあるので、「生きる意味」を見出している人は、対象はどうあれ、何かしらの「見えない世界・見えない存在・見えない力」を信じている人であると思います。
死後の世界を信じない人、見えない存在は信じない人、こうした人が多くなっている今、生きる意味を簡単に見失ってしまうのは無理からぬ事かと思いました。
魂の向上、一冊の問題集、与える愛という教え
私自身は信仰を持っており、その教えの中で
- 人間の本質は魂であり、この世は魂修行の場である
- 魂修行の過程で様々な問題集を解いていき、魂を向上させるために生きている
- 真に魂を向上させるためには「自分自身の幸福」だけを追っていてはならない
というものが中心に入っています。
頭では理解できているのですが、どうしても人間心で損得感情が出てきてしまったり、死後の世界での判定が「マイナス」になるような判断と行動を取ってしまうことも多いです。
なんとかこの「魂の成長」ということと「与える愛」ということをわかりやすく説明できないものかと悩む中で、今回の「マイホーム建設」の発想に行き着いたというわけです(笑)
自分自身、腑に落ちたものでなければなかなか説明や説得ができないこともあるのでウンウン考えておりました。
しかし、しっかりと考えていくと、世の中に出回っている成功哲学やスピリチュアル系の本の「真の意味」が見えて来たように思います。
死んだあとの世界で「どのような家を建てるか」
※以降、この話に触れるときは私の学んでいる宗教の教えが含まれてきます。
読まれる方は「感覚的にそんな世界がある」という想像をしながら読んでいただければと思います^^
(信じなければ悪で、地獄行きだなんていう考えもありません。信じるも信じないも一人ひとりに与えられた自由です^^)
私達が生きているこの世界が「修行の場」であるとするならば、本来の住んでいた場所は何処なのでしょうか。
これが「死んだあとの世界」ということになります。
この死後の世界は、地獄を含めて様々な“階層”になっています。階層といっても高い低いというイメージよりも、玉ねぎや白菜みたいに何層も重なっているイメージを持ってもらえるといいと思います。
住む世界が別ということではなく、同じ世界だけれどもその次元が違うために別次元の存在を認識することが難しい、というイメージです。
さて、この世でマイホームを建てようと思ったときに、どのようなものが必要になるでしょうか。
- 土地
- 設計図
- 資材
このあたりが必要になってくると思います。
これを人生に当てはめて考えると
- 土地→死後の世界の階層
- 設計図→魂とこの世に生まれる前の人生設計
- 資材→生前の言動や思い
なのかな、と考えました。
私達は、人生の中でどのような行いをしてきたか、どのような思いを持って生きてきたかによって死後向かう先が変わります。
より高次元の世界に行くこともあれば、反省のために地獄という世界に行くこともあります。
つまり、死後のマイホームをどの土地(次元)に建てるのかと言うことです。
家を建てるとしたら、どのような場所を選びますか?
- 治安がよく、周りの人達も幸せで、自分の自由も保証されている土地
- 治安が悪く、いつもギスギスしていて、自分自身も常に拘束されている土地
極端に言うとこんなイメージです。
この世において、良い行い、偉大な行いをしてきた人は良い土地を購入する土台に立てますし、逆もしかりということです。
できる限りいい土地に住みたいですよね^^
少し長くなってきたので、設計図や資材の部分は次回以降に、、、
最終的には「なぜ奪ってはならないのか」ということについても触れていきたいと思います。
まだ自分自身でまとまっていない内容なので、わかりにくい文章になることをお許しください(汗)
【Think Better】夢を実現するために行動する
夢を持って将来設計をすることは素晴らしいのだが、願望を抱いているだけではほとんど何も起こらない。
願望を現実に変えるには、願望を抱く以上のことが必要なのだ。
こんにちは、Tomiです^^
皆さんは、どんな夢をお持ちでしょうか。
- 大金持ちになる
- 有名人になる
- 幸せな家庭を手に入れる
様々な物があるかと思います。
どんな夢を持つのも自由ではあるのですが、その”夢”は実現しないものも数多くあります。
大小問わず、何かを追い求めたときに、それが手に入らなかったとき、私達はしばしば自己肯定感を損ないます。
せっかく抱いた夢ならば、なんとかして実現させたい。
そう願うのは私だけではなく、人類普遍の欲求なのではないでしょうか^^
“夢”という願望を現実に変える
将来のことを夢見て、様々な計画を立てることがあります。
個人的には計画を立てたり、そのとおりに物事を進めることが結構苦手な人種なのですが、それでも学生時代は計画的に勉強していたことを思い出します。
実際、大学に入るまでは自分の思い描いた通りの人生を歩んだように思います^^
- 学校の先生になりたい
- 高校でバスケをやりたい(ミニバス→中学校でバスケをやっていた)
実際、この夢を語り始めたときに、母が的確な努力の方法を教えてくれたこと、方向付けてくれたことが効果絶大だったのだと今でも思います。
結果的に、大学に入った際、「小学校の教員なのか・中学校の教員なのか」「教員になって何をしたいのか」という目標と努力の方向性、そして計画をしっかりと自分で設定できなかった事により、今は別の道を歩んでいるわけです。
夢を持つ、願望を抱くということは誰でもできます。
問題は、夢を現実にするために、自分がどれだけ人生の時間を費やして行動できるのか、という点です。
どのように綿密に計画を立てたところで、行動を起こさなければ何も変わることはありません。
叶うまでやり続けられるかどうか
著者は次のように言います。
願望を現実に変えるには、願望を抱く以上のことが必要なのだ。何らかの目標を達成したいと真剣に思うなら、それに向けてかなりのエネルギーを注ぐ必要があるのだ。
「やろう!」と思ってモチベーションを持っているときはいいですが、問題はそのモチベーションが維持できなくなったとしても、自身の状況に関係なく続けることができるかどうか、ということだと思います。
人間の「サボりたい」という欲求の強さは、言わずもがなだと思います笑
この時にどれだけ自分に喝を入れて行動し続けるかがターニングポイントになるわけですね。
- 毎日、夢を実現したときの喜びをイメージングする
- 最小限の労力で努力を継続させるための習慣付けを行う
- 目標達成のために不必要なものは断舎離する
常に自分の行動一つ一つを「夢の実現」にフォーカスさせることで、初めて引き寄せの法則は発動するのではないかと思います^^
頑張っていきましょう!皆さんの夢が叶うことを心から応援しております!
私もがんばります^^
“うまくいく”考え方
ほしいものがあるなら、それを手に入れるだけのことをする必要がある。
【Think Better】他人の思い通りにはならない
あなたは、礼儀正しさや、さわやかな態度だけを心がけていればいいのであって、自分のしたいことを犠牲にしてまで他人を喜ばせる必要はない。
こんにちは、Tomiです^^
「マウントを取る」という言葉があります。
自分の優位性を相手に誇示することで、相手を自分の支配下に置こうとするようなときに使う言葉です。
この項目を読んだ時、個人的には嫌われる勇気・幸せになる勇気の一節を思い出しました。
皆さんは、無意識に周りを「自分の思い通り」にしようとしていませんか?
他人を縛り付ける権利
著者はこう言います。
自分の思うように相手が行動することを期待する権利を持っている人がこの世に存在するだろうか。もちろん、相手の同意を得ているとか相手の行動を管理する資格があるというのなら話は別だ。
しかし、そうでないなら、そのような権利を持っている人は、この世に一人も存在しない。
会社で働く上司と部下の関係や、親と子の関係のように、ある程度行動を制限することがある関係を除いて、相手の行動を縛り付ける権利は無いと語ります。
これは、相手のことを好きすぎるあまり、自分の方を向いてくれない異性や友達に対しても同じような行動制限をかけようとすることも含まれると思います。
上司と部下・親と子ですら、すべての行動を規制する権利は存在していないと思いますし、ましてや名前も知らない他人が「自分の規範」で動いてくれないということにヤキモキするということ自体が間違っているということです。
即ち、私達が行動するときに、周囲の声は雑音になりうるということを知っているだけでも、行動のハードルが下がるのではないでしょうか?^^
「弱さ」こそ最強の力?
嫌われる勇気・幸せになる勇気の話を出しましたが、実は赤ちゃんや子どもというのはその「弱さ」を最大限に利用し、周囲の行動を強く規制してきます。
これは、そうしなくれば自分が生存していくことが困難であるからにほかなりません。
この弱さから自立していく過程を両書では詳しく解説されているわけです。
つまり、「弱さ」というのは周囲を簡単に巻き添えにし、行動を制限させる強さがあるということです。
「自分は弱い(弱っている)」という事をことさらアピールすることは、自分自身の自尊心を損なわせるだけではなく、周囲の人の大切な時間を制限してしまう可能性を多分に秘めているという事をわすれないようにしましょう!
“うまくいく”考え方
自分のしたいことをするのがいちばん大切だ。