【人生論】人生をマイホーム建設に例えるVol.4
こんにちは、Tomiです^^
今回はちょっと激しめの画像でごめんなさい汗
備忘録として始めた「人生をマイホーム建設に例える」シリーズになります^^
前回、「行動や選択、思いによって家を作るための資材を集める」という話をしました。
その中で「正しい選択や行動」という話が出てきたので、今回はこの「善悪・正誤」というところを深堀したいと思います^^
目次
基本的には「周囲に害を与えない」が最低ライン
その時々の状況によって物事の善悪というのは微妙に変わってくるものだと思います。
したがって「普遍的な善、絶対的な善」というものは取り出して「これ!」とは言いにくいです。
そこで、最低ラインとして「周囲に害を与えない」という心持ちで生活・選択・行動を心がけてみてはいかがでしょうか。
生きていれば、誰かを傷つけることもありますし、嘘をついてしまうこともあります。
その場の空気に合わせて誰かの悪口をいうこともありますし、自分に甘い怠惰な行動をとってしまうこともあると思います。
中には犯罪といわれるような行動をとってしまう人もいるでしょう。
画像にあるように相手の命を奪うようなことも(故意かどうかは別にして)あると思います。
こうした「周囲(の環境や人)に害を与える行動」というのは、基本的には「悪」であると考えると、善悪の基準が一つ明確になるのではないでしょうか?
基準が明確になれば、「今の自分の行動や思いは正しかったのか?」という問いから反省をすることができます。
悪を働くとどうなるのか
実際に悪を働いてしまった場合、周囲に害を与えてしまった場合、”あの世のマイホーム”的には何が起きているのでしょうか。
ここからはまたイメージしていただく形になります。
自分一人で資材を集めて、土地を決めて、設計図をもとに組み立てるのであれば問題ないのですが、あの世でも他者とのかかわりはなくなりません。
現在あなたの横にいる友達も、家族も、道行く人も、みんな同じ条件で生きているわけです。
ではなぜ人に害を与えると悪なのか。
それは、「相手の設計図や資材にも影響を与えてしまうから」だと思ってください。
家を建てているとき、ようやくそろえた資材を、誰かに盗まれたらどう思いますか?
設計図に沿って基礎を作り始めたのに、設計図を破かれたり、落書きをされたらどうですか?
まだまだ資材が整っていないのに、突然資材集めを止めさせられたらどうでしょうか。
この世での生活においては、罰せられるということはあったとしても、基本的には何をするのも自由です。
最悪、殺人ですら「やる」こと自体はできます。
法的に拘束されているだけであって、人間の行動の選択肢としては選択可能なわけですね。
ですが、こうした「他者を害する行動や思い」は自分の人生だけにとどまらず、相手の人生にも影響してしまうという点がとても厄介なのです。
したがって、少なくとも相手を害さない、思いやりを持って行動するということが自分の人生においても相手の人生においても大切になってくるわけです。
幸福の総量を増やす行動が最善
悪い行動については触れました。
ではよい行動とはどのようなものをいうのでしょうか。
私が思うにそれは
「自他を含めた幸福の総量を増やす行動」
なんだと思います。
単純に困っている人がいれば助ける、毎日笑顔で生きる、悲しんでいる人がいれば寄り添ってあげる。
こうした”誰かの幸福に寄与する行動”がとれる人は、きっと死後の世界の土地もよい条件になるでしょうし、「SSR資材確定ガチャ」を引く権利(笑)も与えられるのではないでしょうか。
自己実現や自己研鑽においても、あなた自身の能力や知識が増えれば増えるほど、助けられる人の数が増えるので、肯定されるべきものであると思います。
(もちろん、思いの中で自分の幸福のみを追求している場合は査定が入ると思います)
より良い家に住んで、あの世での生活も幸福にしていきたいですね^^