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【Think Better】自分のまちがいは堂々と認める

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まちがいを犯すということは、人間的に劣っているということではなく、人間的だということである。
自分が犯した間違いを進んで認められるということは、人間的に円熟している証であり、健全な自尊心の尺度である。

こんにちは、Tomiです^^

前回の記事で、失敗をたくさんして、その分学んでいこうという事に触れました。
しかしながら、失敗や間違いをしてしまった時に、どうしても自分を守りたいという気持ちが働くことにより「間違いを認めない」というスタンスを取ってしまいがちです。

失敗が「成功しない方法を知ること」だと認識したところで、「成功しなかった」という事実を受け止めなければそこであゆみは止まってしまいます。

失敗を受け入れ、そして成功のために学びを深めていけるような生き方を目指して、今回の記事をご覧いただけると嬉しいです^^

正しいことと優れていることはイコールではない

常に「優れているものが正しい」、あるいは「正しいものが人間的に優れている」という価値感に囚われてしまうと、その道を外れた時に自分を強く責める結果を招きます。

自尊心を取り戻すまでの期間は、きっと自分のことを責めまくって来たのではないでしょうか?
そして、その責め苦から逃れるために、「自分は正しい」と思い込むようになってきます。

そもそも、「正しさ」という価値感自体が、多様な人間関係の中で作られた一つの回答であり、周囲の人間が変わればその正しさも変化するものだと思います。

なので、仮に現状で間違いと認定されたからといって、人間として否定されるべきものでは有りません。

また、堂々と間違いを認めることが出来るということは、自分の行動に自信と責任を持っているということにも繋がります。
自尊心を取り戻すためにも、自身を持って自分の人生を選択していきたいものですね^^

相手も同じく間違いを犯すという事を理解する

ここでは「自分」にのみ視点が当てられていますが、実は自分の間違いを認めるということは「他の人も間違いを犯す存在である」ということも認めるということを示しています。

お互いに、間違いについて必要以上の責め苦を与えない。
間違えることで、「正解に近づいたね」とお互いを励まし合うような姿こそ、お互いに健全な自尊心を獲得した関係性なのかもしれません。

“うまくいく”考え方

正しくてもまちがっていても、自分は常に価値のある人間だ。