【雑記】人生について考える
こんにちは、Tomiです^^
葬儀の仕事をしている関係で、”人の最期”に立ち会う人たちの感情と、”最期を迎える人”の存在に触れるわけですが、ふと自分の人生について考える機会が多くなりました。
- 自分の子どもがいる
- 妻がいる
- 友人がいる
様々な故人や遺族、親族知友と自分自身を重ね合わせることで、自分の人生を振り返ってみたり、未来を想像してみたりしています。
そんな中、人生について考えさせられる逸話を見つけたので紹介いたします。
果たして、自分は本当に”今”という時間を生きているのだろうか。
未来に向かって時間を生きているつもりだが、本当だろうか。
ちょっぴり不思議な世界に誘いたいと思います^^
※なお、今回の記事は雑記です。まとまり切ってないですが、一つの物の見方として一考してもらうきっかけになれば幸いです^^
黄梁一炊の夢(こうりょう いっすいの ゆめ)
黄粱(こうりょう)一炊(いっすい)の夢(ゆめ) | 今週のことわざ(三省堂辞書編集部) | 三省堂 ことばのコラム
中国の逸話からの言葉で、この世の栄枯盛衰ははかないものだという意味のことわざです。
いわゆる”諸行無常”的な響きのあることわざですが、私はこの言葉の題材を知って、別の人生観を持つようになりました。それは
今生きている私は、本当に”今”を生きているのか?
禅問答のようになりますが、私の思い描いた感覚をお話しすると
未来の、死ぬ間際の私が、自分の過去を夢の中で追体験している状態なのではないか
という感覚です。
会社に勤めて、宗教を学び、妻と子供がいて、様々な事を学んでいる。
何とか今の状況を好転させたい、未来を理想的な良いものにしたいとあくせく活動しているが、実はこの生きているという感覚は、未来の自分が「あの頃はこうだったなぁ…」みたいな昔話を生きている状態なのではないか。
そんなことを考えはじめたら、
- 自分の(この)人生とは何なのだろうか
- 死ぬ間際の自分は、どんな状態になっているのだろうか
- 実はすべて決められたレールを歩いているだけなのではないか
なんてことを思うようになり、何となくふわふわした日々を過ごすようになりました。
時間の流れを”未来→過去”として考える
あなたも、想像してみてください。
今を楽しんで生きている、あるいは困難を乗り越えようと必死に生きている。
この楽しみ・苦しみは実際に今自分が感じているものである。
けれども、その記憶と感覚が、実は未来の自分が追体験している物、思い出している物だとしたら・・・
こんなことを想像したとき、あなたの心に浮かんだ感情はどんなものでしたか?
- 虚無感
- 高揚感
- 不安
- 期待
様々あると思います。
個人的には、時間の流れを”未来から今(過去)”にして考えるということは、以前にも触れたことがある内容だったため、ものすごくワクワクもしました。
今活動している、体験している、感じているすべての物事は、未来のある一点を通るための布石である。
未来の自分に向かっていくために必要な事柄を体験している。
そんな風に感じるのです。
そして、思いをはせることになります。
「自分の最期の瞬間」
に。
- 悲しむ人はいるだろうか
- 集う人たちは大勢だろうか
- 素晴らしい人生だったと、目を閉じただろうか
- 最期の瞬間まで、手を握ってくれる人はいただろうか
これらの問いに満足できる答えを得られる自分であってほしい。
そのために、今を最大限に生ききるということが大切であるとも感じました。
パラレルワールド
更に、SF好きな私としては、”パラレルワールド”という存在についても興味があります。
未来の地点において、様々な「私」がおり、現段階において自分がもっとも理想とする自分もいれば、その真逆の自分も存在する。
どの自分になるのかは、現在の一つ一つの選択による。
今度は現在から未来へとまた時間の流れを変える必要が出てきます。
今の選択が、未来に少なからず影響を与えている。
だとすると
- 何時に寝て、何時に起きるか
- 誰と会い、何を話すのか
- 何を食べるのか
- 何を為し、何を為さないのか
こうした選択一つ一つが大切に思えてきます。
ものすごく極端な話をすれば、自分の大切な人や物をなくす未来を迎える可能性もあるし、突如舞い込む大金により一生裕福な人生を歩むことになる可能性もあります。
未来を知ることはできません。
ですが、未来の様々な地点にいる自分は、過去の自分に対して「その選択をしろ(あるいはするな)!」と必死に呼びかけてくれているのかもしれません。
いかがでしたか?
ちょっぴり夢物語の世界を味わえたでしょうか?
未来の一点をしっかりと定めるということは、今を意識して生きることにつながります。
真偽がどうであれ、今できることは「今を大切に生きること」。
それ以上でもそれ以下でもありません。
あなたは、どんな最期を迎えますか?
【Think Better】自分の価値を疑わない
他人が何と言おうと、人間の価値を決定する絶対的な基準はない。あるのは、精神的に不安定な人たちが独断と偏見で決めた基準だけである。人間の価値とは、数量で測定できるものではなく、生まれたときにもらって死ぬまで持ちつづける尊厳のことなのだ。
こんにちは、Tomiです^^
あなたは、自分自身の価値について、心から信じてあげられていますか?
こんな偉そうなことを言ってますが、私自身、心底自分のことを信じられているかといえば、微妙かもしれません。
ですが、どんな環境であっても、放り込まれたら何となく適応していく力はあるんじゃないかなーと、勝手に想像していたりします(笑)
それは、小さいころから「挨拶と愛嬌だけは忘れるな」と親から教えてもらっていたからかもしれません。
自分で自分のことを信じていくことが難しい時代に合って、さらに「誰かと比べて自分の優位性を主張する人」が一定数いることも事実として知らなくてはいけないかもしれません。
何か・誰かとの比較でもって「自分」という存在の価値が高まったり低まったりすることはないということを信じましょう^^
お金で解決できるものでマウントを取る人
知ってる方にすごく優秀な人がいました。仕事もできるし、頭の回転も速いし、行動力もある人でした。
ただ、悲しいかな、その方はどうしても「誰かと比べることによって自分の地位を際立たせる」ということにも長けてる人でした。
- 乗ってる車をキャッシュで買った
- 持ってる時計がいくらだった
- 身につけてるものも相応じゃないと舐められる
そんなことをよく話す方でした。
私はその人のことが嫌いではなかったですが、やはり「比較」されるということはあまり気持ちのいいものではなかったです。
個人的には身につけてるものがいいものだからその人の価値も高い、という風には感じないため、高級車を買いたがる経営者の方々の考えもよくわかりません。
(お金の勉強をするようになってから「節税目的」で経費を使っていたのかもという考えは思いつくようにはなりましたが…笑)
むしろ、清掃員として隠れてたり、ぼろい車に乗ってる人が実は有名企業の会長でした!みたいな話の方が結構好きだったりします(笑)
どちらにせよ、それは人それぞれの考え方ですから、一個人として否定することも肯定することもしません。
ただ、そうした「お金で解決できるもの」の多寡や大小で競い合う姿を見ると「可哀相だなぁ」というように感じることが多いです。
地位財と非地位財
アメリカの経済学者ロバート・フランク氏は、次のような定義をしました。
他人との比較によって満足が得られる財を「地位財」、他人との比較とは関係なく満足が得られる財を「非地位財」という。
年収1億円で劣等感ある人が不思議じゃない訳 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
前項でお話しした人は、どうしても「地位財」に目が向きがちだったわけです。
もちろん、非地位財に関心がなかったわけではないと思いますが、「形」から入ることを重要視しているように思いました。
以前の記事でも書いた通り、誰かと比べることができるものに依存すると、上には上があるという現実に打ちのめされることになります。
その時に人は
- 上をけなす
- 自分を卑下する
という、あまりにも非生産的な行動をとることが多くなります。
半面、健康や自由、愛情といった非地位財については、自身が得られているということに気づくことができれば、だれと比較するのでもなく、ただただ幸せを感じることができるものです。
非地位財による幸福感は、地位財によるそれよりも、はるかに長持ちすることがわかっています。
「自分はユニークな存在だ」という事実と「誰かと優劣を決める必要なんてない」という事実を受け入れて、安らかな生活を送りたいものですね^^
”うまくいく”考え方
自分のどんなところも、他人との優劣を決める基準にはならない。
【Think Better】自分を他人と比較しない
自分と他人を比較するのはどんな場合も好ましくない。なぜなら、あなたはこの地球上に住む他のすべての人と同様、独自の長所、短所、才能、能力を持つ個性的な存在だからだ。環境や人生経験、ものの見方・考え方が組み合わさって、あなたは他のだれとも違うユニークな存在になっている。これはいい・悪いの問題ではなく、事実である。
こんにちは、Tomiです^^
”隣の芝は青い”とよく言われますが、ほかの人が持っている物って、どうしてあんなにも魅力的に映るんでしょう。
- 容姿
- 資産
- スキル
- 人脈
挙げればきりがないほど、人のものって素敵に見えますよね。
ですが、これは「自分の本当の価値」に気づいていない証拠なのかもしれません。
誰かと比べて価値を見出すのではなく、自分自身がすでに”ユニーク”であることを信じるべきなのかもしれません^^
”嫉妬”という感情
仏教には人間の心の三毒として「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」というものがあります。
- むさぼる心
- 怒る心
- 愚痴を言う心
貪欲・瞋恚・愚痴(とんよく・しんに・ぐち)とも呼ばれます。
この中で「愚痴」というものが嫉妬の心と大いに関係しています。
痴というのは「物事を知らず、愚かである」ということを指しますが、この「物事」というのが「真理」のことであり、智慧がないことを指すわけです。
真理とは何か。
それは、すでに著者が記す通り
人は、一人一人がユニークな存在である
ということです。
そして、そのユニークな存在としてこの世に生を受けたということに対する感謝でもあります。
嫉妬する人というのは、すでに自分が所有している物に満足できず(貪)、ほかの人が羨ましく見え(痴)、そしてそのギャップを埋めることができないために怒る(瞋)か妬むことにつながるわけです。
そして、心に毒素をため込み、徐々に幸福感が下がり、自己肯定感も下がることになります。
青天井
誰かと比べるという行為は、ある種行動の原動力になるかもしれません。
しかし、”上には上がいる”ということもまたこの世の事実です。
年収が1000万になったからと言ってそれ以下の人を見下したとして、年収1億の人から自分が見下されているという事実にぶつかったとき、一時の優越感に浸っていた分、余計に自分のことがみじめになります。
基本的に、能力や資産など、数値化できるものについては比べるときりがありません。
1Ptでも自分のものよりも上回っていれば、それは比較の対象になってしまいます。
そうではなくて、数値化できないものに目を向け、自分自身の価値を確かめる努力が必要になると思います。
自分の数値化できない価値を認めることができる人は、周囲の人の価値も同じく認めることができるので、魅力はぐっと上がるはずです^^
身近なものと比較しない
どうしても比較したい、そんな欲求にかられたときは、「どうあがいても太刀打ちできない人」と比べてみましょう。
草野球選手の小学生が、イチロー選手と能力を比べて嫉妬するでしょうか。
きっと、それは「憧れ」という対象になり、行動力の源泉になるはずです。
自分と近しい人だからこそ、少し手を伸ばせば届きそうな気がするからこそ、すでに手に入れている人のことを妬んでしまうのだ、という事実を理解できると、嫉妬をすることがいかに無駄な労力を使うかがわかってくるはずです^^
”うまくいく”考え方
自分は個性的な存在だ。
だから、他人と比較しても意味がない。
【Think Better】完璧を求めない
あなたの目標は何もかも完璧にこなすことではなく、むしろそんなに完璧を求める必要がないことを理解することなのだ。
こんにちは、Tomiです^^
何かを推し進める上で、完成度というのは一定量求められることだと思います。
また、それにより対価を得る場合には、粗悪なものを提供するわけにいかないため、余計に完成度を求めることが多いと思います。
ですが、”完璧”を追い求めると、徐々に足をからめとられていき、行動ができなくなることがあるようです。
ぜひ、ご自身の心の中に「完璧主義者」の一面がないか、振り返ってみましょう^^
完璧を目指すとなぜ行動ができなくなるのか
著者は、完璧主義者の特徴を以下のように記しています。
- 他のだれよりもきちんと物事を処理できると信じているために、よけいな仕事をたくさん背負い込む
- 物事の決定に悩み抜く
- 絶えずミスを探し求め、いつもミスを発見する
確かに、あまり幸せそうな生き方ではないかもしれません。
常に誰かのミスを探したり、自分の落ち度がないかに気を配るために、完成するまでの道のりが途方もなく長くなるのです。
報告書や提案書、進捗確認などの場面は仕事を進める上でとても大切になってきます。
いわゆる「報連相」というものです。
これについても、100点のものを提出しようと頑張るわけですが、実はここに大きな落とし穴があります。
まず第一に、「遂行速度が遅くなってしまう」こと。
大体作業というのは、早めに仕上げることで次の作業に移れる、駒を進めることができるというメリットがあります。
しかし、この一つ一つの作業に完璧を求めるがあまり、どれも締め切りギリギリになってしまうため、全体的な作業が鈍化するという恐れがあります。
次に、「自分自身の完璧を求めている」という点です。
前回の人に期待しないということでも触れたとおり、相手がどのような仕上がりを求めているのかというのは、こちらからは推測するしかありません。
したがって、どんなに自分が100点のものを仕上げた気になっても、相手にとっては50点、あるいはマイナス評価につながることすらあり得るわけです。
有名な孫子の兵法に次のようなものがあります。
兵は拙速を尊ぶ(へいは せっそくを たっとぶ)
多少拙くとも、素早く行動し、成果を収めるのがよいという兵法です。
ビジネスにおいても相手の時間を無駄にしないという思いやりはとても大切です。
ぜひ50点でもいいので素早く仕上げることを心がけてみましょう!
完璧を目指すとなぜ自己肯定感が下がるのか
筆者は完璧主義者の特徴でさらにこのように続けます。
最悪なのは、何事も完璧にこなす能力を自分の人間としての価値と同一視することである。このために、完璧主義者は自分を一級の人間だとはなかなか思えなくなっている。
完璧な仕事をやり遂げることが毎回できるのであれば、それはおそらく大成功を収めるのであろうと思いますが、毎回そうはいきません。
しかし、「自分は何事も完璧にこなせる人間だ」という自己認識を持っていると、ダメだったときの反動が大きいわけです。
- そもそもこんなスケジュールでは無理がある
- 先方からの指示が曖昧過ぎる
など、ビジネスのシーンでは往々にしてあることだと思います。
この中で完璧を追い求めたとしても、結果的に粗悪な出来栄えになるか、できない自分を自分で追い込んでしまうことになりかねません。
物事には何事も求められている出来栄えというものが存在します。
これをあらかじめすり合わせたうえで、自分の能力と照らし合わせることこそ、完璧な仕事を行う上で大切な事なのではないでしょうか。
すべてを一人で行うことは不可能です。
また、人間である以上、エラーはどこかに潜んでいます。
それを認められることこそ、本当に「自分を認める」ということにつながりますし、ひいては「相手を認める」という素敵な人格に成長するのだと思います^^
”うまくいく”考え方
自分にとって現実的な基準を設定することが賢い方法だ
【Think Better】他人に期待しない
他人の行動はときとして理解しがたいことがある。裏を返せば、あなたの行動だって、他人にとっては理解しづらいことがあるのだ。
こんにちは、Tomiです^^
”期待”という言葉は、何となく響きもいいし、周囲から期待されるということは行動の原動力になることも多いと思います。
しかし、他者に同じように期待をかける場合、その期待は「裏切られるものだ」と思っていた方がいいのかもしれません。
期待をかける・かけられるということは、度を越えると「束縛」することにつながります。
異性間における相手への期待
おそらく、一番”期待”というものの存在がわかりやすいのは異性に対する恋心ではないでしょうか。
あなたは今、ひそかに想いを寄せている異性がいます。
何とか振り向いてほしい、自分を好きになってほしい。
こうした自身の「愛」から、相手に様々な思いをぶつけます。
- 何となく何をしているのか気になってLINEをする
- 相手のSNSを意味もなく覗いてしまう
- 相手が喜んでくれそうなものを差し入れる
などなど。
相手もまんざらじゃない感じを出すため、益々期待は膨らむばかり。
あくまで相手のことを思っているだけであれば問題ないのかもしれません。
しかし、この期待が徐々に膨らむあまり「こんなにも思っているのに、相手は応えてくれない」というような感情を持つようになると、お互いに苦しい結果を招きます。
- ラインの返信が返ってこない(既読にすらならない)
- 相手のSNSに別の人(性別関係なく)の影が見え隠れする
- こちらばかりプレゼントしすぎて、何となく不公平に感じる
こうなってくると、最終的には相手を好きだったはずなのに、憎むべき対象にまで発展するかもしれません。
仕事における相手への期待
また、期待という言葉を使う機会が多いのは、仕事の場面も当てはまるでしょう。
「君には期待しているよ」
などと信頼している上司から言われたときには、小躍りして頑張りたくなる人も多いのではないでしょうか。
この期待をかける・かけられるというのは、その人の自己肯定感を上げるためには確かに有効な手段だと思います。
しかし、これにも落とし穴があることを忘れてはいけません。
それは
- 期待に応えられないこともある
- かけられている期待の大きさは相手の裁量である
という二点です。
ともに相関している事柄ではありますが、期待をかけられることによって、結果に対するプレッシャーが増えるわけです。
期待に応えようとどんなに努力したところで、相手の思う量に達しなかった場合は認めてもらえないでしょう。
また逆に、どれだけ相手に期待をしたところで、思うように相手が動かないことだってあります。
こうしたときに、お互いの心の中にもやもやを残す結果になるわけです。
人は何のために生きるのか
結論、むやみやたらと相手に期待をしないことです。
こうすることで、お互いに自然体で接することができるようになり、逆に良い結果を生むことが増えると思います。
自己肯定感の高い人というのは、自分の人生を生きています。
自分の時間を生き、自分のやりたいことをし、自分の満足を大切にしています。
そこに、誰かの人生に期待をする・別の人生を生きる人から期待されるということは、「誰かの人生を生きることになる」「誰かに自分の人生を歩むことを強制させる」という恐れがあることを覚えておきましょう。
- 自分も相手も等しく尊い存在である
- 過度な期待などせず、相手のことを信頼しながら自分のやるべきことをする
この点に注意することができれば、自己肯定感を高めながら自分の人生をのびのび生きることができるようになるのではないでしょうか^^
囚われの無い心を目指していきましょう^^
私も頑張ります^^
”うまくいく”考え方
他人が自分と違う行動をとるのには、それなりの理由がある。
【健康】糖質制限を始めて起きた体の変化
こんにちは、Tomiです^^
2年ほど前から糖質制限を始めて、今では糖質との付き合い方も肌感覚で分かってきたように思います。
糖質制限は体に必要とされている栄養分をできる限りとらないようにする方法ですから、無理な方法を取ったり間違った方法をとると逆に悪影響となります。
私が糖質制限をするときに参考にさせていただいたのがこのチャンネル↓
世の中としては結構過激な物言いをするパンダお兄さんがいろいろと話してくれるので参考になっています^^
ここで仕入れた情報をもとに糖質制限を行ったわけですが、その時に体に起きた変化についてまとめたいと思います。
マイ糖質制限法
まず、超ざっくりに私が行った糖質制限の方法を説明いたします。
- ありとあらゆる糖質を徹底的に排除
- たんぱく質を多めにとる
- 良質な脂質をこまめに摂取
です。
まず糖質の排除ですが、基本的に主食を野菜と肉に変更し、米・パン・麺類を一切取りませんでした。
摂取する糖質は添加物や調味料に含まれている物のみとして、その中でも「ぶどう糖果糖液糖」というような表記があるものは極力避けて生活しました。
次に、卵と肉・魚、納豆を多めに取るようにし、たんぱく質を摂取しました。
きちんと計算をしてはいないのですが、何となく摂取量が少ない気がしていたので足りない分はプロテインで補強していました(がばがば)
最期に良質な脂質の摂取。これはMCTオイルやエゴマ油・アマニ油、ココナッツオイルといった「中鎖脂肪酸」を含んでいる物を摂取するようにしました。またサラダ油などを一切使わないようにし、その代わりにオリーブオイルの使用を心がけていました。
糖質制限を行う中で一番ネックになったのはこの脂質の部分でしょうか…
とにかく高額なんです笑
一気にマイナス5キロ
初めて2週間ほどでしょうか。効果は一気に現れました。
まず体重が5キロほど落ち、周囲からも「痩せた?」と言われるくらい目に見える変化が体に現れました。
感覚としてはみるみる体重が落ちていく感じ。
ですが、恐れていたほどエネルギー不足などを感じることもなく、食事以外は普段と何も変わらない生活をしていました^^
これは、体の中に蓄えられていた水分が糖質を減らすことで体外に排出されることによる「むくみ」の解消によるものなんだそうです。
つまり、内臓脂肪が減少してとかそういうダイエット効果ではなく、無駄に蓄えていたものを外に出したというだけの物みたいなんです^^
若干の停滞期とその後の緩やかな5キロ減
上記の理由により、82キロくらいの体重が75キロくらいまで減ったところで、停滞期が訪れました。
ここで初めて少し運動を加えようと決心。
その時に助けになったのはやっぱり「きんに君」でした笑
自宅でできる部位筋トレや有酸素運動みたいなものをアップしてくれていたので、これを毎日やって汗をかいていました。
これにより、停滞期を乗り越えたところ、緩やかに70キロにめがけて痩せていきました^^
今はこの体重を維持しつつ、激しい糖質制限をせずに食べたいものを食べる生活に戻しました。
若干の体重の増加はありますが、2~3日すると元に戻るので安心して食べています^^
肌荒れなどの減少
体重の変化だけではなく、ほかの部分にもいい影響が出ていたように思います。
- 健康診断の肝臓値・コレステロール値の改善
- 血圧の低下(もともと高血圧ではなかったが)
- 肌荒れの減少(指先・爪・顔など)
が挙げられます。
すべてが糖質制限のたまものかはわかりません。
しかしながら、意識をしないと糖質過多になる現代の食生活において、たんぱく質と脂質をしっかり補うことができたというのは体にとってはとても大きいメリットだったのだと感じています。
特に爪と指先については、接客業をやっているためきれいにしておきたい部位の一つでした。
皮膚病の関係で爪が白くなっていたり、ささくれがたくさんできていたりしたのですが、気づくとその症状が無くなっていました。
体の保湿や線状についてもMitzチャンネルでは様々な情報が出ているので実践しているのですが、どれも体には合うようで、健康に過ごしております^^
ということで、メリット満載の糖質制限ですが、正しい知識を身につけて、チャレンジしてみることをお勧めします^^
まずは2週間しのぐことができれば、体が「当たりまえ」を塗り替えてくれます。
そうすると、むやみやたらとお菓子が食べたくなったり、甘いものが食べたくなったりしなくなるので、頑張ってみてください^^
感想・ご質問などあればコメント下さるとうれしいです^^
【Think Better】不平・不満を言わない
毎週一日を選んで、この悪癖と向きあおう。その日には、どんなことがあっても不平・不満を口にせず、批判めいたことを一切口にしない。自分が不幸を招く考え方をしていると気づいたときは、すぐに頭を切り替えて楽しいことを考える。
たとえ少しの間だけでも否定的な考え方を取り除く習慣が身につけば、自分の人生がいかに明るく快適になっていくかに驚くはずである。
こんにちは、Tomiです^^
皆さんは、普段口にする言葉はどんな物が多いですか?
周囲の環境に対する愚痴や不満、こぼれていませんか?^^
今回は、こうした悪い習慣を直していこうというお話になります^^
お釈迦様の説いた「三業」
仏教の中でお釈迦様が説かれた教えの中に「三業(さんごう)」というものがあります。
これは
- 語業(口業)
- 身業
- 意業
の3つを合わせて「人間の生きる上での行い」について説いたものです。
この3つの業を逐一反省しながら、より良い生き方や悟りを目指していくというのが仏教の修行になります。
その中でもこの不平不満というのは一番目の「語業(ごごう)」に当たる行いになります。
愚痴や不平不満というのはもちろん「悪い業(行い)」と判定されるため、その悪い種を撒いたからには必ず悪い実を刈とならなくてはなりません。
不平不満をこぼしすぎるとどのような結果が待ち受けているのでしょう。
この癖は事態をますます悪化させるだけなのだ。事態を好転させるために何らかのことをしないかぎり、不平・不満を言ったぶんだけ自分がいっそうみじめになり、「どうしていつも私ばっかり・・・」といった被害者意識が強くなるだけである
つまり、言っても言ってもきりがないということですね。
でもこれって、もはや「癖」であり病気に近いところもあるんですよね。
不満を一番聞いている人は?
誰かに愚痴をこぼしているときも、一人でぶつくさいっているときにも、一番その悪い言葉を聞いているのは誰でしょうか。
そう、自分です。
自分が発した言葉というのは、どんなものであれすべて自分が聞いています。
何なら、骨伝導を通して誰よりも大きい音で自分の頭の中に記録されています。
これって、結構怖いことだと思いませんか?
- 誰かが憎い
- あの人が妬ましい
- 自分の人生は不幸ばっかりだ
こんな言葉を自分自身で言い聞かせているとしたら、もう心は「そういうものなんだ」と思い込んでしまいますよね。
ですから、この「語業」というのはとても大切な行いの一つなんです。
逆に、良い言葉を口にしたときも一番聞いてくれているのは自分です。
悪い言葉を口に出さないのはかなり難しいかもしれません。
ですが、この記事をご覧になられた皆さんは、今日夜眠る前に、ふかふかおふとんの中でこう言ってみてください^^
絶対人生が好転します!
今日もお疲れ様、自分(あなたの名前を言ってあげてください)^^
よく頑張ったよ!
明日も明るく生きていこう!
“うまくいく”考え方
不幸を招く考え方を避ければ、より幸せになる。