日進月歩~よりよく生きる~

世界が美しく見えるお手伝いを

【Think Better】自分の価値を疑わない

f:id:THINK-BETTER-777:20220220132719j:plain

他人が何と言おうと、人間の価値を決定する絶対的な基準はない。あるのは、精神的に不安定な人たちが独断と偏見で決めた基準だけである。人間の価値とは、数量で測定できるものではなく、生まれたときにもらって死ぬまで持ちつづける尊厳のことなのだ。

こんにちは、Tomiです^^

あなたは、自分自身の価値について、心から信じてあげられていますか?
こんな偉そうなことを言ってますが、私自身、心底自分のことを信じられているかといえば、微妙かもしれません。

ですが、どんな環境であっても、放り込まれたら何となく適応していく力はあるんじゃないかなーと、勝手に想像していたりします(笑)
それは、小さいころから「挨拶と愛嬌だけは忘れるな」と親から教えてもらっていたからかもしれません。

自分で自分のことを信じていくことが難しい時代に合って、さらに「誰かと比べて自分の優位性を主張する人」が一定数いることも事実として知らなくてはいけないかもしれません。

何か・誰かとの比較でもって「自分」という存在の価値が高まったり低まったりすることはないということを信じましょう^^

お金で解決できるものでマウントを取る人

知ってる方にすごく優秀な人がいました。仕事もできるし、頭の回転も速いし、行動力もある人でした。
ただ、悲しいかな、その方はどうしても「誰かと比べることによって自分の地位を際立たせる」ということにも長けてる人でした。

  • 乗ってる車をキャッシュで買った
  • 持ってる時計がいくらだった
  • 身につけてるものも相応じゃないと舐められる

そんなことをよく話す方でした。

私はその人のことが嫌いではなかったですが、やはり「比較」されるということはあまり気持ちのいいものではなかったです。

個人的には身につけてるものがいいものだからその人の価値も高い、という風には感じないため、高級車を買いたがる経営者の方々の考えもよくわかりません。
(お金の勉強をするようになってから「節税目的」で経費を使っていたのかもという考えは思いつくようにはなりましたが…笑)

むしろ、清掃員として隠れてたり、ぼろい車に乗ってる人が実は有名企業の会長でした!みたいな話の方が結構好きだったりします(笑)

どちらにせよ、それは人それぞれの考え方ですから、一個人として否定することも肯定することもしません。

ただ、そうした「お金で解決できるもの」の多寡や大小で競い合う姿を見ると「可哀相だなぁ」というように感じることが多いです。

地位財と非地位財

アメリカの経済学者ロバート・フランク氏は、次のような定義をしました。

他人との比較によって満足が得られる財を「地位財」、他人との比較とは関係なく満足が得られる財を「非地位財」という。 

年収1億円で劣等感ある人が不思議じゃない訳 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

前項でお話しした人は、どうしても「地位財」に目が向きがちだったわけです。
もちろん、非地位財に関心がなかったわけではないと思いますが、「形」から入ることを重要視しているように思いました。

以前の記事でも書いた通り、誰かと比べることができるものに依存すると、上には上があるという現実に打ちのめされることになります。
その時に人は

  • 上をけなす
  • 自分を卑下する

という、あまりにも非生産的な行動をとることが多くなります。

半面、健康や自由、愛情といった非地位財については、自身が得られているということに気づくことができれば、だれと比較するのでもなく、ただただ幸せを感じることができるものです。

非地位財による幸福感は、地位財によるそれよりも、はるかに長持ちすることがわかっています。

「自分はユニークな存在だ」という事実と「誰かと優劣を決める必要なんてない」という事実を受け入れて、安らかな生活を送りたいものですね^^

”うまくいく”考え方

自分のどんなところも、他人との優劣を決める基準にはならない。