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【人生論】陰ながらの努力が成功する訳

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お天道様は見てくれている…

こんにちは、Tomiです^^

今日から8月ですね!真夏にふさわしいじりじりとした熱気に包まれていますが、どうか体調に十分気を付けながら過ごされてください!

8月は別名「葉月」と言われます。これは、昔の暦では9月~10月ごろを指していたため、「葉落ち月」から「葉月」と呼ばれるようになったというのが有力な説のようです。
最近の日差しが強すぎて、そのせいで葉っぱも落ちそうなくらいですが、青々とした木々の葉に幾分かの涼しさも感じられそうです。

さて、そんな私たちを太古の昔から照らし続けてくれている太陽。
皆さんは、この太陽に堂々と顔みせできる生き方をしているでしょうか。

正直、私も意識をしていないと”堂々と”まではいかないのが実際のところです(汗)

今日は、「陰ながら努力する」ことの大切さに触れ、人生の中で”愛のある成功”をするための秘訣について書いていこうと思います。

陰徳と陽徳

陰徳、という言葉があります。

人に知らせずにひっそりと行う善行やそれにより高まる”徳”のことを言います。

この反対に陽徳というのは、あえて人に知られるように行う善行のこと。

どちらも善行であることには変わりはないのですが、大切なのは”陰徳”であると思います。
この「人知れずに」という部分がポイントで、これは「見返りを求めない・考えない善行」であるということを指します。

ともすると私たちは

  • 会社での評価を上げたいから掃除をする
  • 誰かに認められたいから努力をする

という考えに陥りがちです。行動の原動力としてはとても大きな力になるので、この欲求を完全に否定することはありません。しかし、あくまでこの行いは「自分」にベクトルが向いているのに対し、陰徳を積む行為というのは「他の誰か」にベクトルが向いています。

  • 気持ちよく使ってもらうために掃除をする
  • 誰かの役に立ちたいから努力をする

こうした考えにシフトし、陰徳を積むということが大きな成功に結び付く”種”になるのだと思います。

陰ながらの努力は他者理解に役立つ

人知れずに行う努力や善行は、時としてこんな感情が芽生えます。

  • 何のためにやっているのだろうか
  • なぜ自分だけこんなことをしているのだろうか

私たちの心のベクトルは、常に自分に向いたり他者に向いたりして一定ではありません(訓練して常に人に向くようにされている方もいるので、これはとても立派なことだと思います)。

はじめは誰かのために、と始めたことであっても、肉体的にきつかったり周囲の反応が冷ややかだったりすると、自分の行動に疑問を持つこともあります。

しかし、この葛藤を乗り越えることが、実は他者理解につながると考えています。

陰ながら努力ができる人というのは、他者も同じような努力や善行を行っていると考えることができるようになります。
突き詰めていけば、他者の存在自体に感謝をすることができるようになりますし、例えばきれいになっている部屋を見て「誰かが掃除をしてくれたのに違いない」という視点で物を見れるようになります。

また、他者も同じように葛藤を繰り返すということにも寄り添うことができるので、もしそうした陰徳を目の当たりにしたとき、相手にかける言葉は違ったものになるはずです。

そして何より、成功者を見て「妬む」という感情が起きにくくなるはずです。
これは、自分が成功を夢見ている人にとってはとても大切なことです。

自分の理想像を”妬む”という行為は、自分を理想から遠ざける行為に等しいからです。

”いやらしくない”成功者

成功をする人の中には、心から祝福をしたい人と、どうもそういう気持ちが起きにくい人がいると思いませんか?

この分岐点になるのが、やはり「陰徳」をどれだけ積んでいるか、ということにつながります。

陰徳を積んでいる人は、自分の成功を鼻にかけて自慢したりせず、”みんなのおかげ”という「謙虚な心」が生まれます。

これがない人というのはどうしても自分の成功を他者に見せびらかしてしまうため、自分では自分の価値を高めているつもりでいても、周囲の目は冷ややかであることが多いです。

どんなに巨万の富を築いたとしても、その富を使って幸せを共有できる人が周りにいないのであれば、これは「豊かな成功」とは呼べません。

そういう意味では、周囲からも祝福されるような”いやらしくない成功”を納められるような努力を続ける必要があるのかもしれません。

お天道様は見ている

先ほどの、陰ながらの善行を積む人たちが抱える葛藤を打破するための最も効果的な考え方があります。

それは

きっと誰かが見てくれている

という思いです。
この世で生活している人が見ていなくても、自分を評価する立場の人が見ていなかったとしても、きっと目に見えない大きな存在が自分のことを見守っていてくれる。

この祈りにも似た感情が、辛い葛藤を乗り越えるための”鍵”になります。

はたから見れば意味がないように感じられるかもしれない。
わざわざ自分がしなくてもいいことかもしれない。
でも、周囲の人たちの幸せが増えるように、奉仕したい。

こうした思いで善行を積むのであれば、きっと誰かの目に留まり、引き上げてくれるようになります。

これは、善因善果・悪因悪果と言って、善行には必ず福徳があるというこの世の大きな「摂理」によるものです。

誰が見ていなくても、きっとお天道様は見てくれています。

どうも最近自分に対する評価が気になって仕方がない

みんなから祝福されるような成功を収めたい

尊敬されるリーダーになりたい

そんな願いをお持ちの方は、ぜひとも”陰徳”に着目して、奉仕の心で何かを始めてみてはいかがですか?

ほら!目の前に小さなごみが落ちてますよ^^

 

最後までお読みくださり、感謝いたします^^